(岩手県 遠野市)毎年5月5日
家内安全・縁結び・開運を祈る春の大祭

遠野郷八幡宮は文治5年(1189年)平泉藤原氏を討伐した源頼朝が、従軍の武将・阿曽沼広綱に遠野12郷を賞賜しました。その後、阿曽沼親綱が横田の地に横田城を築いて統治しましたが、城の鎮守として、城の東北方(鬼門)に当たる宮代に八幡宮を勧請して建立したのが始まりとされています。
寛永4年(1627年)、南部直栄が八戸から転封されると南部家も厚い崇敬をするところとなり、寛文元年(1661年)、八幡宮を現在の地に遷宮しました。
以後、催事を盛大にし、遠祖源頼義が鎌倉の鶴ヶ岡八幡宮で行った祭式にならい、9月15日の例祭には流鏑馬が奉納され、その後は馬場巡りが行われ、毎年多くの参拝者が訪れます。

また遠野郷八幡宮では毎年5月5日のこどもの日に春の大祭、出雲大神祭(いずもおおかみさい)が斎行され『こども流鏑馬』が奉納されます。
出雲大社は縁結びの神・福の神として名高く、遠野郷八幡宮は昭和26年に東北で唯一、出雲大社の御分霊を受けました。春の大祭、出雲大神祭は御分霊が遠野に到着したのを記念して斎行されます。

この日、縁結び祈願・開運祈願の方が多く参拝されます。出雲大神祭の神事では、参拝者は拝殿にて打出の小槌を振ることが出来ます。
また、神楽殿では新緑の中、八幡神楽の奉納が行われます。演目に続く最後の権現舞は遠野物語110話に由来するもので、最後に観客はゴンゲンサマに頭を噛んでもらうことが出来ます。

そして午後の12時30分よりこども流鏑馬が奉納されます。凛々しくきらびやかな射手衣装に身を包み、伝統のある馬場で引馬にまたがった約20名の小中学生が大勢の観客に見守られ、3つの的をめがけて矢を放ちます。的に矢が命中すると園児の扮する介添奉行から「よう射たりや」と声がかけられ、大勢の拍手が境内に鳴り響きます。
またその後は引馬なしでの流鏑馬、馬上で弓を引く動作を再現した「流鏑馬立射演舞」が奉納されます。
遠野郷八幡宮では9月の例祭で大人たちによる遠野南部流鏑馬が奉納されますが、5月のこども流鏑馬は南部駒の産地である遠野の馬事伝統をつなぐための糸口となっています。

遠野郷八幡宮
岩手県遠野市松崎町白岩23-19
アクセス
車◉釜石道 遠野IC より10分
電車◉JR釜石線 遠野駅下車 約2キロ
バス◉遠野駅から約12分『八幡神社前』、または『八幡』停留所下車

遠野郷八幡宮の起源
御祭神は誉田別尊(ほむたわけのみこと)、大国主神(おおくにぬしのかみ)、事代主神(ことしろぬしのかみ)、少彦名神(すくなひこなのかみ)、御年神(みとしのかみ)。文治5年(1189年)に平泉の藤原氏追討に従軍として功があり、源頼朝から遠野郷を賜った阿曽沼広綱が宇夫方広房を代官として送り、松崎村駒木に「舘」を築いて氏神であった八幡神をまつって遠野郷を統治し、その後、阿曽沼親綱が横田城を築き、城の鬼門である東北の方角に八幡宮を勧請して崇敬したのが始まりとされています。寛永4年(1627年)、南部直栄が八戸から転封されると南部家は遠野郷八幡宮を篤く崇敬し寛文元年(1661年)流鏑馬用の馬場を造営しました。


取材後記…遠野郷八幡宮の馬場は、寛文元年(1661年)に造営されました。面積は約9,000坪あり、1周が450m、南側の直線は220mの長さがあり、日本屈指の広面積の芝生馬場となっています。特徴としては、的を掛ける土手は馬場中央に設けるのが普通ですが、この馬場は南端に土手を設け、中央は広場とし、大勢の観客が集まることができます。文/邦馬
取材協力・写真提供
遠野郷八幡宮
https://www.tono8man.com
0198-62-2647
遠野郷八幡宮こども流鏑馬実行委員会事務局
https://kodomoyabusame.jimdofree.com