矢作芳人調教師は誰よりも競馬ファンをとても大切にする。
助手時代「週間競馬報知」のコラムを書いていた事から、読者である競馬ファンと競馬関係者の交流を目的とした「YAKAI(矢会)パーティー」が1998年から始まった。
このパーティーは、厩舎開業(2005年)以後を含め17回続き、現在でも不定期に行なっている。
昨年、第20回記念YAKAIパーティーが奥様の久子さんをリーダーとして東京で開催され、僕も久しぶりに裏方としてクイズ担当などをさせてもらった。
今、矢作師がそのようなパーティーを開くと、馬主関係者や有名人、メディアなど大勢の人々が皆、参加を希望する。
でも会場のキャパの関係で参加人数は限られている。
彼はこの20回記念の矢会に関しては、自分が無名だった最初の頃から来てくれていて、ずっと応援してくれているファンの人達を最優先して招待したのだ。
僕も久しぶりに皆に会えて、とても楽しかった。
そして矢作師といえば馬を見る「相馬眼」だ。自厩舎の馬のチェックはもちろん、これからセールに出る馬など、北海道に限らず世界中の馬を見て回っている。
年に何頭の馬を何回見ているのか……数え切れないくらいの数字だろう。多分現役調教師ではダントツだと思う。
調教師試験を受かってから開業までの1年間も、世界中で馬を見て回って勉強していた。それが自分の糧となったとよく言っていた。
伊藤雄二先生とは調教師としてのタイプは全く違う矢作師だが、ファンを愛する心と、馬を見るのが大好きな点は全く同じだ。
彼は厩舎のスタッフはもちろん、所属騎手、開業前に矢作厩舎で研修した調教師などもファミリーとして、とても大事にしている。
特に弟子の騎手2人に対しては、僕らと飲んでる席で「あの2人が可愛くてたまらんのや」と何度聞いた事か…
矢作師が競馬場で弟子を叱責している動画などがアンチから世に出た事があるが、彼の2人への思いを知っている僕らが見たら、アホらしくて笑えてくる。
矢作厩舎独自や発祥と言われる事は多数あるが、その中でも他の調教師は多分やっていないと思われるものがある。
それは「2歳馬ドラフト制度」だ。その年に入る2歳馬を2月頃にスタッフ全員が、1頭ずつ指名していくのだ。被った場合は抽選となる。
持ち乗り調教助手と厩務員はその自分が指名した馬が入厩した時に、優先的に担当できるというシステムだ。
馬を担当しない人達も参加していて、指名した馬はPOGとしてポイント化され、上位の人にはご褒美がもらえる。
「ゲームみたいなものかな?」と思われる方もいるかもだが、とんでもない!こんな凄いシステムは普通ありえない。
昭和の時代は「俺の言うことを聞かない奴にはええ馬はやらん!」という調教師がほとんどで、生活のかかっている従業員達は媚びを売ったり、仲間を蹴落としたりと、凄くドロドロの部分があった(今もまだかなりある)。
誰にどの馬を担当させるかは調教師の一存で、それによって厩舎を牛耳っているといっても過言ではない。
矢作師はその調教師の特権を完全に放棄したのだ。
ドラフトをやる前からも入厩順に差別なく担当させていたと聞くが、この制度になってからは、皆がはっきり公平だと認識したと思う。
大げさに言うと調教師に暴言を吐いてケンカしても、数億円もするような馬を担当できるという事だ。
これをできるのは自分とスタッフとの信頼の構築と、能力の高い馬を人数分以上揃えてきているという矢作師の自信に他ならない。
色々な厩舎の面々での飲み会などでこの話が出ると、「ええなぁー」と皆がため息をつく。
僕の話をするが、今年の夏、人生最後の札幌でのレースを勝たせてもらった(全国競馬場探訪~札幌競馬場~ 第3回参照)。
感慨に浸りながら馬を引っ張っていると、矢作師が検量室方面からつかつかと寄ってきて、「おめでとう!」とハイタッチしてきた。これが僕の札幌最後だと知っていて、自厩舎の装鞍など忙しい時間帯なのにわざわざ来てくれたのだ。
涙が込み上げてきてかなりヤバかった。
矢作師と僕らを中心とするスポーツ観戦オタク達が、2015年頃から計画していた「2020東京五輪観戦ツアー」。自力からコネまで考えうるあらゆる手段を使ってチケットを確保し続けた。僕は前半8日間ほど矢作師の東京マンションに泊まらせてもらい五輪三昧の予定だった。
そしてコロナでの延期~無観客開催。人生で死別以外での一番悲しい出来事だった。
矢作師とは午前中にスケートボード堀米選手の金メダル、午後に柔道の阿部兄弟のW金メダルと、1日3つもの金メダルを一緒に観れたはずだった。
しゃーない、来年からは定年退職して暇ができるし、彼と一緒に日本の金メダルを見てガッチリ握手するのは、ロンシャン競馬場(凱旋門賞)にしよう!