凱門(かちどきもん)から最初の交差点を右に曲がると、西の厩舎地区に入る。
一つ目の交差点を曲がった所が厩舎記号「へ」のブロックで、その「ヘ―7」厩舎が僕が25年間お世話になった伊藤雄二厩舎があった所だ。
普通の厩舎は20馬房あるのだが、ここだけ形が変で15馬房しかないのは、今も変わっていない。
警備上の観点から、現在トレセン内のどこにどんな厩舎があるとかは一切言えないが、20馬房以上ある調教師の離れの厩舎になっているようだ。
昔、この空いたスペースで先輩のおっちゃん達が色々な野菜を植えていた。柿の木もあったなぁ…何か昨日の事のように、当時の景色が浮かんでくる。
この「ヘ―7」厩舎の東側は僕らの時代は里山があり、現在は厩舎になっている。西側は昔とあまり変わっていなくて、競走馬スイミングプールと馬の砂浴び場、馬運車の馬積み込み場などがある。
ここにある馬の砂浴び場は昔のままだ。
厩舎から近いというのもあって、エアグルーヴなど担当馬をこの砂場によく連れて行った。
グルーヴは砂浴び場が大好きで、クーリングダウンの時、近くに来ると砂場方面を見たまま動かなくなり「早よ連れて行かんかい!」とでも言ってるみたいに少しブホッと鳴くのだ。
連れていくと左右両面3~4回寝転がって、気が済んだら「帰るで!」という感じで出口のとこに自ら来るのだ。
馬をあまり洗わない厳寒期以外は毎日のようにここに通った。
その隣が競走馬スイミングプール。厩舎からすぐ近くにあったので、よく馬を連れて来た。
現在は厩舎からプールがとても遠いので、暖かい時期のその馬にどうしても必要な時だけ使用している。
そして、この西厩舎地区には「チロリン」と呼ばれる外厩地域(全国競馬場探訪~札幌競馬場~<3回シリーズ 第2回>参照)がある。
それは伊藤厩舎があった「へ―7」の北側道路を西に進んだ右側(北)に、道路を隔てて一段低い所にある厩舎記号「チ」と「リ」のブロックだ。
昔はここに西独身寮という一人部屋の寮があり、僕はここで22歳から35歳で結婚するまでの13年間を過ごした。
最初の数年は携帯電話どころか固定電話が部屋にもなく、友人や彼女からの電話も1階に降りてきて管理人の所で受けていた。とても不便だったが、今思えば楽しい独身寮生活だった。
寮から出ると道路の上に陸橋があり、そこから歩いて職場である厩舎まで数分で行けた(雨の日は車で通勤)。
朝、寝ぼけたり二日酔いでフラフラして歩いたり、遅刻寸前で猛ダッシュでその橋を渡ったりした30年以上前の情景が、ここに来ると鮮やかによみがえってくる。