僕はこの馬社会に就職して以来、年賀状は全て自分の担当馬の写真付きを送ってきた。
GⅠを勝った有名な馬だけではない。僕が担当したたくさんの馬の歴史が42年間の年賀状に詰まっていると言ってもいいだろう。
僕は友人が送ってくる子供だけ写っている年賀状に対して、「子供だけ写ってる年賀状なんて送られても誰もちゃんと見てへんで。真剣に見るのは直系の親族だけや!自分ら夫婦も子供と一緒に写らんかい!俺らは君らの今の顔が見たいんや!」とよく苦言を呈してきた。
だから僕はできるだけ、馬がメインとして自分も写っている年賀状を作ってきた。
まあ、自分の愛馬(担当馬)を自慢しているのは、子供の写真年賀状を送っている人達と全く同じだし、初期の頃は僕もかなり変装していて誰かよく分からなかったけどね。
今年は厩務員として最後のお正月で、もう担当馬との年賀写真を撮る事はできない。
そして昨今、同世代の友人が続々と年賀状を出すのを止めている。そういう流れもあるし、定年退職を一区切りとして、今年で葉書での年賀状を終了することにした。
という事で、年賀状引退記念として、今回から僕の約40年間の担当馬自慢年賀状の写真を紹介していこうと思う。
まずは伊藤雄二厩舎編を2回、少し開けて梅田智之厩舎編を2回でお届けする。
全部は残っていないので全てではないけど、年賀状から外れたボツ写真なども公開させてもらう。
伊藤雄二厩舎編の第1回は写真付き年賀状を写真屋さんなどに頼んで作ってもらっていた初期のもの。
80~90年代なので今と違って、カメラでたくさん撮った写真から1枚だけ選んで写真屋さんで作ってもらうスタイルだった。
当時は現像して出来上がるまでどんな写真か分からなくて、ピンぼけや被写体が枠からはみ出ている写真などがほとんどだった記憶がある。
1990年前後は自分が変装して、友人に写真を撮ってもらうシリーズが続いた。
これも大した意味はないのだが、たくさん来た年賀状をさっさと見ていて、少し止まってじっくり見てくれるかも?と思って作った。
この頃はあまり干支とかは気にせず、適当に写真を撮っていたが、1990年の午年の写真だけ「今年は馬!」という感じで作った。今はこういう下からのアングルで写真を撮るのは(スマホなどで)普通にやっているが、当時はあまり誰もやっていなかった。
次の年の年賀状も、今思えばかなりレベルが低かった。
1992年の年賀状は、僕が「厩務員の好きな馬」で少し紹介したマチカネハナノエンに乗った僕。変装のコンセプトは東西冷戦で、インディアン風のコスチュームにソ連のジャンパーを着ている。
そして、僕が初めて重賞レースを勝たせてもらった馬、ワコーチカコに時代は移る。
昭和の時代はベテラン厩務員が幅をきかせていて、若手の担当馬が活躍すると「あいつは天狗になってる!」とよく言われた。それをイジって「僕は天狗です!」という年賀状を作った(1994年賀状)。
1994年はワコーチカコで僕自身が初重賞(エプソムカップ)を勝たせてもらい、札幌競馬場で行われた函館記念も勝たせていただいた。
そして初めてのGⅠレース、天皇賞(秋)に出る事もできた最高の年だった。
それを記念して作った1995年の年賀状。題名は「調子に乗った男」。
チカコとはこういうしょーもない僕との写真や、ファンとの2ショット写真をいっぱい撮った。
でも彼女は一切怒らず、いつもカメラ目線のポーズをとってくれる最高の女優だった。
つづく