5/31(土)、東京競馬場。
ここは長年、僕の担当馬がたくさん戦ってきた場所。その競馬場での最後のレースの日がやってきた。

エアグルーヴのG1レースなど、喜びや嬉しい思い出もあるが、そればかりではない。
1991年の安田記念の日、僚馬ダイイチルビーが優勝して皆が歓喜の中、僕は一人涙にくれていた。
安田記念の直前の9Rで担当のオータムホークが1番人気で4着。しかも両前脚の屈腱不全断裂という重傷を負い、獣医さんから「能失(競争能力喪失)」の判断が出ていたのだ。
ダイイチルビーの担当厩務員に「おめでとうございます!」と、涙をこらえながら言った事を昨日の出来事のように思い出す。
そんな思い出深い競馬場を、午前中ゆっくり歩いてみた。
ファンの方には関係ないし、まったく興味ないかもしれないが、東京競馬場は厩舎〜装鞍所〜パドック〜検量室〜馬場が全て地下道で繋がっていて、その区間区間の距離が全て長い。
小倉競馬場も厩舎から装鞍所への地下道はそこそこ長いけれど、やはり地下道の総距離は東京競馬場がダントツの日本一だろう。





そしてこの日の7R、ダイシンラーのレースの時間が迫ってきた。43年間やってきた編み込み(ワタリ時代含む)も、今回を含めてあと2回となった。

昔から出張や競馬に、大事な物を忘れる事で有名だった僕だが、最後の出張でもまたやってしまった……
何とヘルメットを忘れたのだ。
パドックでは必須なので、午前中に装鞍所へ行って、競馬場のを貸してもらった。
装鞍所からパドックまでの間、雨が降ったり止んだりで、雨合羽を着てのパドック周回となった。



この定年前の一連のレースで、騎手の希望を先生にお願いしたと書いたが、今回も願いを叶えてもらった。
吉田豊騎手。
彼は矢作調教師が助手時代から仲良くしていた事もあり、パーティーなどで数多く顔を合わせて仲良くさせてもらっていた。
それだけではなく、エアグルーヴがメジロドーベルとよく戦っていたので、担当の安瀬さんと同じく(心の師匠 参照)、勝手に同志と思っていた。
その彼に最後の東京競馬場で乗ってもらえるとは……梅田先生には本当に感謝しかない。



パドックで吉田豊騎手が跨り、周回している時に雨が激しく降り出し、馬場もどんどん悪くなってきた。

レース内容とかには触れないでおく(7着)。
久しぶりと、この道悪の馬場で厳しい戦いになるのは予想していた。
吉田豊騎手は、直線もビッシリ手を緩めず追ってくれて、上がってきて「馬場が悪いのは苦手みたいでしたが、頑張ってくれました。この馬、絶対走ってくると思います。」と言ってくれた。


ダイシンラーは、鍛えればもっと上のクラスに行ける馬だと思うので、次の担当の人(騎乗者)に託したい。

そしていよいよ次の日、43年間の厩務員人生の最後の日を迎える。