定年が近づいてきて、おぼろげに退職日の意識が芽生えてきた数年前、「仕事最後の日とかは、今までの出来事が走馬灯のように思い出されて、出勤する時とかに涙が出るんかな?」とか思っていた。
6月1日(日)、厩務員生活最後の日は、東京競馬場から未明に帰還し、少しだけ仮眠してまた出勤という慌ただしい雰囲気で始まった。

そしてすぐにトニ男を連れて京都競馬場へ出発しなければならないので、最後の出勤や厩舎仕事をじっくり感慨深く味わう事もなく、あっという間に時間が過ぎていった。
前日東京でレースしたダイシンラーと、今日京都競馬へ行くトニ馬のチェックを終え一旦帰宅。そしてすぐまた厩舎に戻り、朝ごはんを食べに厩務員スタンド(小さな調教スタンド)へ向かった。
昔、小天狗と呼ばれた厩務員スタンドは(栗東トレセン探訪①参照)、西地区にあった前の伊藤厩舎時代は僕らのメインの待機スタンドだった。しかし梅田厩舎に移り東地区になってからは、大きい調教スタンドの方が近くて、小さい方には滅多に行かなくなった。

厩務員スタンドの2階にある軽食コーナーに行くのは久しぶり。
30年以上前から、同じおばちゃんが月曜日を除く毎日、調教時間に合わせて朝早くから働いている(娘さんも手伝う)。
「おばちゃん、今日で仕事最後やし朝ごはん食べに来たで!これから京都競馬場なんやわ。梅山菜うどんちょうだい!」と言った。するとおばちゃんが「そうかー、田中さん定年なんやねー、長い間お疲れ様でした。」と、スジ肉を山盛りサービスして入れてくれた。


厩務員として食べる最後の、厩務員スタンドのおばちゃんのうどんの味は格別だった。
スタンドで朝ごはんを食べた後、まだ出発までに時間があったので、隣にあるたぬき山に登ってみた。
ここは最近では、担当馬を連れて下の角馬場で、追い切り前に軽速歩(トロット、ダクとも言う)をする時に来る。でも角馬場のすぐ近くで見ているので、たぬき山の上に上がるのは友達がトレセン見学とかに来た時だけだ。
伊藤厩舎時代は、よくこの山の上から担当馬の馬場での追い切りを見たものだ。


こんな、馬の調教を見るという、普通の日常が終わる日が来るとは……
感慨深いというより、ピンとこない不思議な感覚になった。
厩舎の馬房の前のスペースのことを競馬関係者は「鼻前」と呼んでいる。
担当馬の鼻前には、自分専用のスペースがあり、人それぞれのセッティングがしてある。
その鼻前に貼っているのが、自分の担当馬の体温表。はっきり覚えていないが、30数年前から付け続けている。
体温だけではなく、調教内容、治療内容、蹄鉄の打ち替え、天気まで書き残している。
もちろん1年くらい溜まれば捨ててきたが、トータルしたら膨大な量だと思う。
この表が役に立ったという事例はほんのわずかしかない。まあ、タテガミの編み込みと一緒で、自己満足と惰性でやっていただけだ。

その体温表に、最後の体温のマーカーを書き込んだ時、ようやく少しだけ胸が熱くなった。
つづく