古馬牝馬の活躍を拡大すべく、古馬も出走可能な牝馬限定G1レースが見直されることとなった1996年。
1995年まで3歳牝馬三冠路線の最終戦となっていたエリザベス女王杯が、古馬にも開放されて11月に3歳馬も4歳以上も出走可能となった。3歳牝馬三冠路線のG1レースが無くなってしまうことから、新たに1996年10月に3歳牝馬三冠の三冠目が創設された。
京都競馬場の内回り2000mで行われるレース。レース名は秋華賞(しゅうかしょう)。中国の詩人が読んだ「あきのはな(秋華)」から用いられ、秋は大きな実り、華は名誉・容姿が美しい様が名前に込められている。
記念すべき第1回を制したのが、芦毛の牝馬「ファビラスラフイン」
2月のデビューから3連勝で重賞(ニュージーランドトロフィー)を制し、この年から新設されたG1レース「第1回NHKマイルカップ」に堂々の1番人気で出走するも、前半のハイペースに巻き込まれて14着でゴール。
その後しっかりと立て直しをされ、休養明けで挑んだのが第1回秋華賞である。
松永幹夫騎手に乗り替わったファビラスラフイン。休み明けとNHKマイルカップの失速から5番人気で出走となったレースだったが、スタートから好位の3~4番手を追走し、4コーナーを回って先頭に立った後、直線でグイっと伸びを見せ、2着のエリモシックに1馬身半差をつけて記念すべき第1回の秋華賞馬に輝いた。
この年の3月に調教中の事故により腎臓摘出の大怪我を負い、この秋に怪我から復帰した松永幹夫騎手の大きなガッツポーズが印象的なゴールシーンであった。
レース前に何かの記事で読んだ、「新設G1レースは9文字の馬が勝つ!」(第1回NHKマイルカップはタイキフォーチュンが優勝)という格言を信じて単勝を当てたことは、馬券下手のワタシにしたら珍しいことで、今でも鮮明に覚えている。
秋華賞の快走から次走は牝馬限定のエリザベス女王杯ではなく、ジャパンカップに決まった。
ジャパンカップでは7番人気で出走。秋華賞同様に好位の3番手で競馬を進めると、直線に向いて先頭に立ち、残り200mで外から並びかけてくるシングスピールとマッチレースとなった。デットーリ騎乗のシングスピールと松永幹夫騎乗のファビラスラフイン、両馬一歩も譲らず並んでゴール。
ゴール板ではわずかに外のシングスピールがハナ差前に出ており、デットーリ騎手のガッツポーズが飛び出した。大金星は逃したものの、日本の3歳牝馬が世界の一流馬とハナ差の大接戦を演じた事に大きな拍手が送られた。
秋の3戦目は有馬記念に出走するも、10着でゴール。結果的にこのレースが現役最後のレースとなった。
秋華賞とジャパンカップでの好走により、1996年のJRA賞最優秀賞4歳牝馬(当時の表記・現、JRA賞最優秀賞3歳牝馬)に選ばれたファビラスラフイン。
引退後は繫殖牝馬となり、産駒からは阪神大賞典勝ちのギュスターヴクライを輩出するなど、母としても活躍したファビラスラフイン。
第1回のNHKマイルカップで1番人気、第1回の秋華賞で1着と、新設G1レースで記憶と記録に残る活躍を見せた、ファビラスラフイン。
秋華賞の季節になると私の記憶を呼び戻す。