「馬の世界でもレオ、レオダーバンです!」
関西テレビの杉本清アナウンサーの名フレーズが飛び出した第52回(1991年)菊花賞。
この年のクラシックレースは、無敗の三冠馬シンボリルドルフの初年度産駒のトウカイテイオーが、力の違いを見せつけて無敗で二冠を制し、親子での無敗の三冠馬誕生へ大きな期待が高まった。
しかしダービー後に骨折が判明し、三冠制覇は幻となった。
一転して混戦模様となった菊花賞。秋晴れの京都競馬場で行われた第52回菊花賞は、阪神3歳ステークスの覇者で皐月賞4着のイブキマイカグラが1番人気に支持された。そのイブキマイカグラを京都新聞杯で下して重賞連勝中のナイスネイチャが2番人気。ダービーでトウカイテイオーの2着となったレオダーバンが3番人気での出走となった。
大外枠の18番ゲートから発走となったレオダーバン。道中外目の好位の不利の無いコースを走りスタミナを温存すると、2周目の4コーナーで横一線から鋭く伸びる。最後は流す余裕も見せて、1番人気のイブキマイカグラの追撃を1馬身半差をつけて、菊花賞馬に輝いた。
この年の日本シリーズを4勝3敗で広島を下し、日本一になった西武ライオンズとかけて、冒頭の「馬の世界でもレオ、レオダーバンです!」という名実況が生まれたのだ。
当時はフィルムカメラで撮影し、レンズのピントも自分で合わせるマニュアルフォーカスしか無かった時代。事前にこの辺りを走るだろうとの予想のもとにピント合わせの練習や、レースに合わせてレンズを横に振る確認など、今と比べて技術が相当に求められるレース撮影であった。
そういった撮影の中であの年の菊花賞が、過去の人生の中で一番ハッキリ、クッキリとファインダーからレースが見えたのだ。
そのハッキリクッキリさとは、走る競走馬の動きに合わせ、微かにレンズのピントリングを回転させつつ、狙った馬(この時はレオダーバン)にピントを合わせる。すると鞍上の岡部幸雄騎手が振るう鞭の縫い目、更には手の皺までハッキリと見えたのだ。ゴールの瞬間はバッチリ撮れた!のレベルを越え、どんな最高傑作が撮れたのかとワクワクで胸が高まった。
当時はフィルム撮影だったので、現像所から仕上がるまで撮影写真は確認することが出来なかった。現像所で引き取って確認すると撮影時にバッチリ見えた、想像通りの最高傑作が仕上がっていた。
11月の京都競馬場といえば、4コーナーからの西日が強く、ゴール付近では馬の下半身に光が当たり、顔付近は暗くなる厳しい撮影だった。だが、露出もバッチリでそんなことは気にならない傑作となった。
どの世界においてもたらればは禁物である。しかし、怪我が無ければトウカイテイオーは無敗の三冠馬に輝いていたかもしれない。
だが、トウカイテイオーが走っていたら騎手の持つ鞭や手の皺まで見えていなかったかもしれない。
1991年の菊花賞は名フレーズと共に、見え過ぎた撮影となって、撮影後に飛び上がるほど興奮した記憶に深く残るレースとなった。