ハイセイコー以来の競馬ブームの立役者となった、オグリキャップ。
そのオグリキャップの競走生活の中で一番インパクトがあったレースが、1989年の第9回ジャパンカップである。
1988年の有馬記念を制してから、故障による休養を挟んで、1989年9月のオールカマーでの復帰戦では危なげなく快勝。続く毎日王冠はイナリワンとの接戦をハナ差制して、堂々と天皇賞(秋)へと駒を進めた。
天皇賞(秋)でも1.9倍の圧倒的な1番人気で臨んだが、先に抜け出したスーパークリークにクビ差届かずの2着と惜敗。陣営は必勝の態勢で次のレースをジャパンカップからマイルチャンピオンシップへと鞍替えした。
マイルチャンピオンシップでの結果は、進路の確保が遅れたことも束の間、物凄い伸び脚を見せ、先に抜け出したバンブーメモリーと並んでゴール! 写真判定の結果、ハナ差オグリキャップが差しており根性で掴み取った勝利となった。
この時点で休み明け4戦目。僅差の激闘が3戦続いたが、陣営は連闘でのジャパンカップ参戦を表明し、ファンも報道関係者も大いに驚いた。
迎えた第9回ジャパンカップ当日は、好天に恵まれた絶好の競馬日和であった。
15頭が出走したレースは日本馬8頭。前年の覇者ペイザバトラーを含む外国馬7頭が集い、豪華メンバーでのレースがスタート。
スタート直後のスタンド前。ファンの大歓声を浴びて、暴走気味に逃げたイブンベイ、逃げたいホークスターは競り駆けていき、信じられないハイペースでレースが流れた。
超ハイペースで進んだレースも最後の直線を迎え、残り400mで3番手追走のニュージーランド馬のホーリックスが先頭に立つと、外から果敢に差を詰めてきたのがオグリキャップ。内のホーリックス、外のオグリキャップ、2頭の一騎打ちとなった。
オグリキャップの猛追もクビ差届かず、7歳牝馬(当時の表記)ホーリックスが勝利。前半のハイペースが効いて、2400m 2分22秒2という驚異的な当時の世界レコードタイムでの決着となった。
なお14着でゴールしたキャロルハウスのタイム2分24秒9は、今までのジャパンカップのレコードタイムと同タイムであり、13着のバンブーメモリー以上の馬が、従来のレコードタイムを更新することとなった。
芦毛2頭の熱いレースに、場内からは割れんばかりの大歓声と拍手が送られた。激闘を終えた2頭は、仲良く芝コースをウイニングランで引き上げて来た。
まだまだ外国馬が強かった時代のジャパンカップ。ホーリックスの激走はもちろん、マイルチャンピオンシップからの連闘で見せた走りに、不屈の闘志で走るオグリキャップ神話が誕生した瞬間であった。
枯れた芝が西日に照らされ、黄金色に輝いた芝生の上を2頭が激走してきたシーン。普段のゴール前のポジションだと、どちらか1頭しか写っていなかったと思う。こういうレースになると狙っていた訳ではないが、結果的に正面からの撮影(1・2着の2頭が写る)にして大正解だったと、自画自賛した。
1989年ジャパンカップはオグリキャップによる魂の走りに感動したレースであった。