「ダービーに始まりダービーに終わる」競馬界の格言であり、関係者が目指すダービーの称号を得る為に日々研鑽をして生涯一度のレースに夢をぶつけます。今年も大観衆に見守られて熱いレースが繰り広げられました。その余韻に浸る間も無く直ぐに2歳戦が始まり、来年のダービーを目指す戦いが始まります。これこそが「ダービーに始まりダービーに終わる」と言われる所以であります。今回の岡田修平のアノ瞬間(とき)は、1990年の第57回日本ダービー(東京優駿)の19万人のナカノコールです。
オグリキャップの出現で競馬ブームとなった平成元年以降、競馬場へ多くのファンが現地観戦すべく足を運びました。中でも平成2年(1990年)の日本ダービー当日の東京競馬場には19万6517人 の入場人員があり、現在でも世界のダービーでの最多入場人員となっています。
好天の中で行われた第57回日本ダービーは、1番人気に若武者・横山典弘騎手が騎乗するメジロライアン、2番人気に皐月賞馬で武豊騎手が騎乗するハクタイセイ、3番人気に皐月賞でクビ差の2着に敗れた中野栄治騎手騎乗のアイネスフウジンが支持されて、皐月賞での三強と呼ばれた三頭がそのまま上位人気を形成しました。
ギッシリと詰まった東京競馬場の大観衆に見守らてスタートしたレースは、アイネスフウジンが先手を奪うと、ハイペースで飛ばして自分の形に持ち込み、向こう正面では4馬身ほどの差をつけて後続を引き離してリードを保ち、馬場の良い外目を回りながら気分よく走らせる中野栄治騎手にアイネスフウジンは応えて直線に向かうと、内のラチ沿いに進路を取ってそのままリードを保って東京競馬場名物の坂を登っても脚色が衰えずに、メジロライアンの追撃を1馬身1/4差をつけてしのぎ第57代ダービー馬の誕生となりました。
19万人の大観衆の声が、4コーナーを回ってから最後の直線に向かうと「ウォー!!!」と響いて、その大歓声が東京競馬場のスタンドの屋根に反射して、地震のような震えが伝わって来たのを今でも鮮明に覚えています。声の圧力に押されながらシャッターを押したのは初めてだったので、緊張と興奮と複雑な感情で撮りましたが、他のレースとダービーは全然違い、特別感がハンパ無いと言われていたことを痛感しました。
レースで全精力を使い果たしたアイネスフウジンがゆっくりウイニングランで芝コースを引き上げて来ると、自然発生的に「ナ・カ・ノ」コールが連呼され、競馬場のファンが一つになって勝者を称えるシーンに出会うことが出来ました。
19万人のナカノコールも声量が凄く、再び地震のような揺れ、地響きのような感じを受けて微妙に震えながらウイニングランのシーンを撮影したのが34年前とは月日が流れるのは速いものですが、記憶は色褪せないですね。34年経った今でもこのレースの1・2番人気を分け合った二人の騎手が現役というのも凄い歴史です。