1995年まで東京優駿(日本ダービー)のトライアル競走として施行されていたNHK杯。
そのNHK杯を前身とし、当時外国産馬はクラシック競走に出られず、距離適性の短い馬にも大きなレースを!という機運が高まっていた。
そこで4歳(現3歳)春のマイル王決定戦として、1996年より「NHKマイルカップ(芝1600mG1)」が創設された。
外国産馬の春の目標ということで「マル外ダービー」と称されることもあったこのレース、第1回は外国産馬のタイキフォーチュンが制している。
第2回のNHKマイルカップも外国産(アメリカ)のシーキングザパールが1番人気で出走してきた。
ここまで7戦5勝の戦績を誇り、シンザン記念・フラワーカップ・ニュージーランドトロフィー4歳ステークスと重賞3連勝で自信を持ってレースに臨んだ。
マイル戦としてはスローペースな流れの中で、武豊騎乗のシーキングザパールは好位を追走。4コーナーでは外目に持ち出すと、早めに先頭に立った。
後続との差をそのままに、追いすがるブレーブテンダーに1馬身3/4差をつけてゴール!



4連勝のゴールはG1レース制覇となった。

観ているファンも、撮影しているカメラマンも、もちろん乗っている騎手も安心した走りを披露して、世代最強牝馬争いへ名乗りを挙げた。



秋の目標は牝馬三冠最終戦の秋華賞が目標となった。
夏を越した次走のローズステークスでは桜花賞馬のキョウエイマーチと初対戦するも、キョウエイマーチの3着に敗れた。
その後喘鳴症(ぜんめいしょう)、いわゆる喉鳴りの症状が出て手術、秋華賞出走は幻に終わった。
手術明けとなる休養明けのシルクロードステークスを快勝し、高松宮記念へと駒を進めた。しかし、レース当日の雨の影響で4着に沈んだシーキングザパール。
次走の安田記念では1年ぶりのG1レース優勝を目指すも、この日も大雨に泣かされて10着と敗退。
春のシルクロードステークス優勝時に夏のフランス遠征が発表されており、予定通り海を渡ったシーキングザパール。
1998年8月9日、フランス・ドーヴィル競馬場で行われたモーリス・ド・ゲスト賞(芝1300mG1)に出走。
スローペースな流れから押し出されるように先頭に立ったシーキングザパール。直線コースの馬場の中ほどを通ってレースを先導、残り300mでスパートすると後続の追撃を封じて先頭でゴールを駆け抜けた。
日本調教馬による欧州G1レース初制覇の瞬間であり、レースタイムの1:14.7はコースレコードだった。
翌週のジャック・ル・マロワ賞(芝1600mG1)も日本調教馬のタイキシャトルが制し、2週続けて快挙が達成された。
日本でこのニュースを知り、ワクワクしたことを未だに覚えている。この二つの出来事までは、漠然としか考えていなかった海外レースの撮影。
身近で撮影していた馬たちの活躍に刺激され、この20年は積極的に海外レースの撮影に動くようになった。
そういう意味では、この年のシーキングザパールの勝利は今のワタシに通じるきっかけとなっている。