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2025年05月09日 (金)

 1995年まで東京優駿(日本ダービー)のトライアル競走として施行されていたNHK杯。

 そのNHK杯を前身とし、当時外国産馬はクラシック競走に出られず、距離適性の短い馬にも大きなレースを!という機運が高まっていた。

 そこで4歳(現3歳)春のマイル王決定戦として、1996年より「NHKマイルカップ(芝1600mG1)」が創設された。

 外国産馬の春の目標ということで「マル外ダービー」と称されることもあったこのレース、第1回は外国産馬のタイキフォーチュンが制している。

 第2回のNHKマイルカップも外国産(アメリカ)のシーキングザパールが1番人気で出走してきた。

 ここまで7戦5勝の戦績を誇り、シンザン記念・フラワーカップ・ニュージーランドトロフィー4歳ステークスと重賞3連勝で自信を持ってレースに臨んだ。

 マイル戦としてはスローペースな流れの中で、武豊騎乗のシーキングザパールは好位を追走。4コーナーでは外目に持ち出すと、早めに先頭に立った。

 後続との差をそのままに、追いすがるブレーブテンダーに1馬身3/4差をつけてゴール!

©Shuhei-Okada.com
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 4連勝のゴールはG1レース制覇となった。

©Shuhei-Okada.com

 観ているファンも、撮影しているカメラマンも、もちろん乗っている騎手も安心した走りを披露して、世代最強牝馬争いへ名乗りを挙げた。

©Shuhei-Okada.com
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 秋の目標は牝馬三冠最終戦の秋華賞が目標となった。

 夏を越した次走のローズステークスでは桜花賞馬のキョウエイマーチと初対戦するも、キョウエイマーチの3着に敗れた。

 その後喘鳴症(ぜんめいしょう)、いわゆる喉鳴りの症状が出て手術、秋華賞出走は幻に終わった。

 手術明けとなる休養明けのシルクロードステークスを快勝し、高松宮記念へと駒を進めた。しかし、レース当日の雨の影響で4着に沈んだシーキングザパール。

 次走の安田記念では1年ぶりのG1レース優勝を目指すも、この日も大雨に泣かされて10着と敗退。

 春のシルクロードステークス優勝時に夏のフランス遠征が発表されており、予定通り海を渡ったシーキングザパール。

 1998年8月9日、フランス・ドーヴィル競馬場で行われたモーリス・ド・ゲスト賞(芝1300mG1)に出走。

 スローペースな流れから押し出されるように先頭に立ったシーキングザパール。直線コースの馬場の中ほどを通ってレースを先導、残り300mでスパートすると後続の追撃を封じて先頭でゴールを駆け抜けた。

 日本調教馬による欧州G1レース初制覇の瞬間であり、レースタイムの1:14.7はコースレコードだった。

 翌週のジャック・ル・マロワ賞(芝1600mG1)も日本調教馬のタイキシャトルが制し、2週続けて快挙が達成された。

 日本でこのニュースを知り、ワクワクしたことを未だに覚えている。この二つの出来事までは、漠然としか考えていなかった海外レースの撮影。

 身近で撮影していた馬たちの活躍に刺激され、この20年は積極的に海外レースの撮影に動くようになった。

 そういう意味では、この年のシーキングザパールの勝利は今のワタシに通じるきっかけとなっている。

岡田修平

1969年 大阪府池田市生まれ
工芸高校写真工芸科、在学中に川本武司氏に師事。
1987年の卒業と同時に「JRA関西広報カメラマン」として撮影を始める。
また師匠の勧めで大阪芸術大学写真学科に進学、卒業後フリーカメラマンとして活動。
競馬をメインフィールドに雑誌、ポスター、カレンダー、DVD等に作品を発表。
フランス凱旋門賞をはじめ、海外大レースの撮影に積極的に参加。
最近は、各インターネット媒体コンテンツへの写真提供もこなし、更なる飛躍を目指している。

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