1980年代後半、オグリキャップと武豊騎手の登場によって第二次競馬ブームが起こった。
JRAのコマーシャルも洗練されて、「一度競馬場へ行ってみよう!」と、レジャースポットとしても人気を博していく。
競馬人気に火がついて次々と新たな競馬雑誌が誕生し、一般的にも普及していった。
競馬雑誌の出版社はほぼ東京の会社なので、関東圏のレースには自社のカメラマンを撮影に向かわせることが出来た。
ただ同時に関西でも競馬が開催されており、関西馬が活躍しはじめた時期だったのでニーズが高まっていた。
しかし関東から経費をかけてカメラマンを派遣するほどではなく、「それなら関西在住のカメラマンに頼む方が効率が良い!」ということで、関西在住のワタシはたくさん仕事をさせてもらった。
『優駿』はもちろん、『競馬塾』『競馬最強の法則』『馬劇場』といった競馬の専門誌や、小中学生時代に見ていた漫画の出版社、集英社・講談社・小学館をはじめ主な出版社の仕事は一通りしたと思う。
中でも光文社が発行していたFLASH臨時増刊号『競馬の達人』には、ピンポイント的に写真を提供していた。
光文社のライターだった松本捷平(しょうへい)さんとは初対面からウマが合い、『競馬の達人』をきっかけによく一緒に仕事をした。


光文社の週刊誌『週刊宝石』では西日本地区の撮影を任されたりして、グルメや店舗、人物などグラビアページを飾る色んなジャンルを撮りまくった。
忙しく動き回る日々でありながら、それまでほぼ競馬しか撮っていなかったカメラマン人生が大きくスキルアップした。
色んな撮影をその場で考えて撮る事で、カメラマンとしての腕が各段に上がったと思う。
また松本さんは光文社のライターながら、地方競馬に精通しており、地方競馬情報誌『Furlong(ハロン)』にもページを持っていたので、そのつながりで各地の地方競馬へも一緒に行き仕事をした。
その時の『Furlong』の仕事があったお陰で、北見競馬場や上山競馬場・高崎競馬場・荒尾競馬場・益田競馬場など、行く機会が無かった地方競馬場に行く経験を積めた。
そして地方競馬を盛り上げるべく松本さんが出版したのが『馬主求む!』(有朋社発行)。
共有馬主制度を利用し「サラリーマンでも地方競馬の馬主になれる!」というマニュアル本だった。
この本を見た小学館の競馬好き編集者Tさん。
編集会議を経て松本さんを口説いた結果、スペリオールに連載されることとなった。
『魅惑のダート』という、4名の共有馬主が集まって愛馬を所有する漫画。
色々な事がありながらも、地方競馬から中央競馬のG1レース制覇を目指す物語となっている。


原作者(松本さん)と親しかったワタシは、『魅惑のダート』内で騎手役(岡田修)として登場している。


スペリオール誌に連載が開始し、いずれは単行本になる予定だという。
単行本になった時のカバー写真を競馬撮影している人に頼みたい。
また誌面内での対談撮影もお願いしたいということで、小学館のTさんの依頼で松本さんを介して紹介してもらった。
Tさんと初めて会って挨拶をしたのは、早朝の調教が終わったばかりの栗東トレセンだった。