ワタシが漠然とカメラマンになりたいなぁと思ったのは小学生の時だった!
毎日同じ時間に起きて同じ道を通って6年間登校する。道順は変わるが中学生になって3年間、高校生で3年間、社会人となってサラリーマンになると、それからずっと毎日同じ行動をすると思うと小学生ながらに「ゾッ」とした…。今日はあっち、明日はこっち、のような毎日色んな所へ自由に行ける仕事が良くて自分ではサラリーマンには向いていないと思い、プロとして自分の腕(技術)で食べていく仕事がしたいと思ったのだ。
小学生当時、同級生と漫画を描いており、そのまま漫画家になるのも良いと思ったが、よくよく考えたら漫画家は下手したら家から一歩も出ないので却下。当時、兄について鉄道写真も撮ったりしていたので、カメラマンも候補に考えた。プロカメラマンだと腕で勝負出来るし、あちらこちらへ移動して仕事をし、新たな発見や知り合いの人を見つけることができ、自分に合ってると思ったからだ。(ちなみに小学校の卒業文集に将来は漫画家かカメラマンになりたいと書いていた)
中学生になると中学の入学祝いに買って貰った自分専用の一眼レフを持って、今から思うと下手な写真を撮りまくった。特に同級生の鉄道好きの仲間とよく撮り鉄をした中で、プロになりたいという思いが強くなっていった。
高校受験の段階でカメラマンになるにはどの道が最短かと色々と調べていたら、大阪市の阿倍野区に工芸高校・写真工芸科というのを見つけた。ここは公立高校で日本で唯一写真を学べる高校で、自宅から通えることもあり、受験すると無事に合格することが出来た。この高校では一般授業も受けながら、専門授業やスタジオでの撮影、大暗室での現像・プリント作業などを学び、充実した日々を過ごした。
入学当初は、中学生の時に興味があった鉄道カメラマンになりたいと思っていたが、それと同時に、父親の影響で競馬に興味を持ち始め、シンザン以来の三冠馬ミスターシービーや史上初の無敗の三冠馬シンボリルドルフの出現により、ロマンのある競馬に一気にのめり込み、大の競馬ファンとなった。
高校2年生の時、何かの用事で街中に出た日曜日、競馬のレースの時間になると家電量販店に行き、テレビのチャンネルを競馬中継に変えた。それはシンボリルドルフが制した第5回ジャパンカップで2着に地方競馬所属のロッキータイガーが入ったレースで、史上初の日本馬によるワンツーフィニッシュに家電量販店で一人大興奮し、大いに感動したのを覚えている。
そのレース後に刊行された競馬情報専門雑誌「優駿」に載っていたジャパンカップの見開き写真を見て、体に電流のような衝撃が走り、テレビで見た感動が再び蘇った。
この時に自分もこんな写真(人に感動を与える)を撮る競馬カメラマンになりたい!と強く思い、競馬場へ行って写真を撮り始めたのであった。
時は流れて高校3年生の二学期になり、進路を決める段階でもワタシは就職するか進学するかをハッキリと決めずにいた。同級生が進路を次々と決めて行く中でも全く不安は無かった。思い返せばこの頃からメンタルは異常に強かったんだと思う。
次週へ続く