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2024年11月21日 (木)

1991年 天皇賞春©スポーツニッポン新聞社

メジロマックイーン
Mejiro McQueen

牡、1987年4月3日生まれ
父メジロティターン
母メジロオーロラ(父リマンド)
馬主/メジロ商事
調教師/池江泰郎
生産牧場/吉田堅
通算成績/21戦12勝

 「競馬は血統のスポーツ」だと言われる。その一方で血統の継承は驚くほどむずかしい。父子2代のダービー制覇は91回の歴史の中で15組が達成しているが、父子3代制覇はいまだに実現されていない。

 同じ大レースで父子3代制覇を完成させたのがメジロマックイーンである。

 1991年4月28日、京都競馬場で第103回天皇賞・春が行われた。武豊騎手が乗るメジロマックイーンは単勝1・7倍の圧倒的な1番人気に支持された。前年に菊花賞馬になっていた。3000㍍の長距離レースを制したスタミナは3200㍍の天皇賞でも生かされると考えられていた。祖父メジロアサマ、父メジロティターンがいずれも天皇賞馬という血統背景も人気を押し上げた。

 レースは4、5番手を進んだメジロマックイーンが2周目4コーナーすぎで先頭に並びかけ、最後は2着馬に2馬身半差をつけ、先頭でゴールした。日本競馬史上初めて、GⅠレースで父子3代制覇が達成された瞬間だった。

 「メジロ」の冠馬名で知られる北野豊吉オーナーは長距離馬を好んだ。70年秋の天皇賞で優勝したメジロアサマは自慢の愛馬だった。ところが現役を引退して、種牡馬になると大きな問題点が見つかった。受精率が極端に低いのだ。1年目に28頭の繁殖牝馬に種付けしたが、1頭も受胎しなかった。それでも北野オーナーはあきらめず、メジロアサマの種付けを続行した。こうして誕生した数少ない産駒の1頭がメジロティターンだ。メジロティターンは82年の天皇賞・秋をレコードタイムで優勝し、メジロアサマとの父子2代制覇を達成した。そして息子のメジロマックイーンへとスタミナの遺伝子を伝えた。メジロアサマ、メジロティターン、メジロマックイーンの3代天皇賞馬はいずれも芦毛だった。

 メジロマックイーンは父子3代天皇賞制覇を達成した後も白星を積み重ねた。93年10月の京都大賞典では通算12勝目を挙げ、史上初めて獲得賞金10億円馬となった。現役を引退後は種牡馬になった。兄のメジロデュレンも菊花賞馬であり、祖父と父は天皇賞馬。種牡馬としても大いに期待されたが、産駒からついにGⅠホースは誕生しなかった。重賞勝ち馬も5頭だけだった。史上初の10億円馬としては寂しい結果といわなければならない。

1993年 京都大賞典©スポーツニッポン新聞社

 しかしメジロマックイーンは只者ではなかった。産駒から大物は出なかったが、孫の世代から次々とスーパーホースが出現した。それがドリームジャーニー、オルフェーヴルというGⅠ兄弟であり、芦毛の系譜を引き継いだゴールドシップだった。

 メジロマックイーンの娘であるオリエンタルアートはドリームジャーニーとオルフェーヴルを出産した。ドリームジャーニーは宝塚記念、有馬記念などGⅠ3勝を挙げた。同じ母から生まれた弟のオルフェーヴルは皐月賞、ダービー、菊花賞を制し、史上7頭目の三冠馬に輝いた。ゴールドシップの母ポイントフラッグもメジロマックイーンの娘だった。ゴールドシップは皐月賞、菊花賞などGⅠで6勝を挙げ、獲得賞金は母方の祖父メジロマックイーンを上回る13億円に達した。

 オルフェーヴルもゴールドシップも種牡馬として成功を収めている。メジロマックイーンの名前と遺伝子は彼らを通じ、後世に残ることになった。

有吉正徳

1957年、福岡県出身。82年に東京中日スポーツで競馬取材をスタート。92年に朝日新聞に移籍後も中央競馬を中心に競馬を担当する。40年あまりの取材で三冠馬誕生の場面に6度立ち会った。著書に「2133日間のオグリキャップ」「第5コーナー~競馬トリビア集」

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