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2024年09月19日 (金)

2011年 有馬記念©スポーツニッポン新聞社

オルフェーヴル
Orfevre

牡、2008年5月14日生まれ
父ステイゴールド
母オリエンタルアート
母父メジロマックイーン
馬主/(有)サンデーレーシング
調教師/池江泰寿
生産牧場/社台コーポレーション白老ファーム
通算成績/21戦12勝

 競馬の世界にも相思相愛のベストカップルというものが存在するのだろうか。父ステイゴールド、母オリエンタルアートという両親から2頭のGⅠ馬が誕生した。兄のドリームジャーニーは朝日杯フューチュリティS、宝塚記念、有馬記念と3つのGⅠで優勝した。同じ両親から生まれた4歳年下のオルフェーヴルは史上7頭目の三冠馬になった。

 ドリームジャーニーは母のオリエンタルアートにとって初めての産駒だった。2007年、5頭目の産駒を受胎するべく種付けシーズンを迎えた時、交配相手に選ばれたのがディープインパクトである。前年に現役を引退したディープインパクトは種牡馬1年目だった。期待は大きく、優秀な産駒を産んでいる繁殖牝馬が種付け相手に選ばれた。だがオリエンタルアートはディープインパクトを種付けされても受胎しなかった。タイミングが悪かったのだろうか。はたまた相性の問題か。軌道を修正してステイゴールドと交配すると、見事に受胎した。それがのちのオルフェーヴルだった。

 オルフェーヴルは三冠レースのほかに有馬記念2勝、宝塚記念と合計6つのGⅠレースを制するほど実力に恵まれた馬だった。けれども、その一方で「やんちゃぶり」でも大いに注目を浴びた。デビュー戦で1着ゴールした後、手綱を取っていた池添謙一騎手を振り落とし、三冠を達成した菊花賞でもゴール後も止まらず、池添騎手を困らせた。

 やんちゃぶりの極めつけが12年3月の阪神大賞典だった。何を勘違いしたか、レース途中の向こう正面で走るのをやめてしまったのだ。なんとか池添騎手が促して走り直したが、いったんスピードダウンした不利は大きく、2着になったのも奇跡的というしかなかった。予想外の走りをしたオルフェーヴルに調教再審査のペナルティーが科された。リズムを崩したオルフェーヴルは続く天皇賞・春でも11着と大敗した。

2013年 有馬記念©スポーツニッポン新聞社

 2連敗したことで、この年の秋に計画していたフランス凱旋門賞挑戦という夢は消えかけた。だが捲土重来を期した宝塚記念を快勝し、自らの力でフランス遠征計画を取り戻した。フランスでは順調にトレーニングが進んだ。しかし肝心なところで、またしてもやんちゃぶりを発揮してしまった。最後の直線で先頭に躍り出るが、内に切れ込み、ラチに激突するほどの斜行で自滅。地元の牝馬に敗れて2着に終わる。翌年、再挑戦。今度はまともに走ったが、再び2着。日本調教馬初の凱旋門賞制覇は夢と終わった。

 種牡馬になったオルフェーヴルは15年に年間種付け数256頭という人気を集めるなど生産界の期待を集めた。気まぐれだった父に似て、産駒はコンスタントに活躍するというわけではないが、「当たればホームラン」といったタイプの大物が現れた。息子のエポカドーロは皐月賞に勝ち、日本ダービーでも2着に健闘した。娘のラッキーライラックはGⅠ4勝を挙げた。そして牝馬マルシュロレーヌは21年、米国で行われたブリーダーズカップディスタフで優勝を飾った。日本調教馬が米国のダートGⅠで初めて勝ち星を挙げた快挙だった。23年には息子のウシュバテソーロがアラブ首長国連邦でドバイワールドカップを制覇した。ポテンシャルの高かったオルフェーヴルの才能は確実に産駒に伝わっている。

有吉正徳

1957年、福岡県出身。82年に東京中日スポーツで競馬取材をスタート。92年に朝日新聞に移籍後も中央競馬を中心に競馬を担当する。40年あまりの取材で三冠馬誕生の場面に6度立ち会った。著書に「2133日間のオグリキャップ」「第5コーナー~競馬トリビア集」

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