タイキシャトル
Taiki Shuttle
牡、1994年3月23日生まれ
父 デヴィルズバッグ
母 ウェルシュマフィン
母父 カーリアン
馬主/大樹ファーム
調教師/藤沢和雄
生産牧場/Taiki Farm
通算成績/13戦11勝
夏になるとタイキシャトルの偉業を思い出す。
1998年8月16日、ジャックルマロワ賞がフランス北部のドーヴィル競馬場で行われた。直線1600㍍の芝コースで行われる名物GⅠレースである。出走馬は8頭。岡部幸雄騎手を背にした4歳のタイキシャトルは最内の1番枠でスタートを待っていた。
ゲートが開くと好スタートを切り、先頭を伺うポジションにその身を置いた。淡々と流れる展開の中、タイキシャトルは2番手をキープする。残り400㍍付近から各馬の動きが激しくなる。岡部騎手の手も動き始めた。タイキシャトルの右側で前を走るケープクロスとの競り合いに、ひるむ様子はない。ゴール寸前、ケープクロスのさらに右側からアモングメンが迫ってきたが、タイキシャトルが半馬身先にゴールに飛び込んでいた。
タイキシャトルに先んずること1週間。8月9日に同じドーヴィル競馬場で行われたモーリスドゲスト賞でシーキングザパール(牝4歳、栗東・森秀行厩舎)が優勝し、日本調教馬による海外GⅠレース初優勝という快挙を達成していた。海外GⅠ初優勝の第1号になることはできなかったが、タイキシャトルがシーキングザパールに続いた。
98年はサッカーのワールドカップがフランスで行われた年だった。日本代表は初出場を果たしたが、1次リーグで3連敗。世界との差を痛感させられていた。同じ年に日本調教馬は欧州馬を相手に2週連続のGⅠ勝利を飾った。地元の専門紙は「日本2-0欧州」という見出しを掲げ、タイキシャトルの勝利を伝えた。
94年3月、タイキシャトルは米国で生まれた。馬主の大樹ファームが米国に所有する牧場が生まれ故郷だった。1歳になるとアイルランドに渡り、初期調教を受けた。来日したのは2歳になってから。3歳の2月に美浦トレーニング・センターの藤沢和雄厩舎に入った。ところがゲート試験(スタート試験)になかなか合格することができず、デビューは4月までずれ込んだ。
7月までに4戦3勝の成績を残すと夏の暑い時期は休養に充て、10月のユニコーンSで復帰。このユニコーンSからタイキシャトルの快進撃が始まった。ダート重賞のユニコーンSで1着になると、スワンSで芝の重賞初勝利。続くマイルチャンピオンシップでGⅠ初制覇を果たすと、その後のスプリンターズSでGⅠ2連勝を飾った。3歳時を8戦7勝の成績で終えた。
4歳になっても白星街道は続いた。京王杯スプリングC、安田記念と2連勝して、フランスへと渡った。岡部騎手と藤沢調教師は、かつてシンボリルドルフで無敗の三冠制覇という偉業を達成した。岡部騎手はシンボリルドルフの主戦騎手として貢献、藤沢調教師は調教助手としてシンボリルドルフを裏で支えた。海外GⅠ制覇を狙ったシンボリルドルフの米国遠征は無念の敗戦となった。この敗戦から12年後、タイキシャトルは二人にリベンジのチャンスを与え、その思いをかなえた。
98年、タイキシャトルは年度代表馬に選ばれた。短距離を中心に走った馬として初めての栄冠だった。2022年8月17日、タイキシャトルは天国に旅立った。フランスでの快挙からちょうど24年後の夏だった。