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2024年10月31日 (金)

1998年 NHKマイルカップ©スポーツニッポン新聞社

エルコンドルパサー
El Condor Pasa

牡、1995年3月17 日生まれ
父キングマンボ
母サドラーズギャル
母父サドラーズウェルズ
馬主/渡邊隆氏
調教師/二ノ宮敬宇
生産牧場/米Takashi Watanabe
通算成績/11戦8勝

 1999年の凱旋門賞でエルコンドルパサーが2着になった翌日、地元のメディアは「勝ち馬は2頭いた」と評した。

 1着は地元フランスのモンジュー(牡3歳)で、エルコンドルパサーとは半馬身差だった。一つ年上だったエルコンドルパサーはモンジューより3.5㌔重い59.5㌔の負担重量を背負っていた。馬場コンディションは不良。不利な条件が重なった。それでいて半馬身差。3着はエルコンドルパサーの6馬身後ろにいた。「勝ち馬は2頭いた」の表現は決して大げさではなかった。

 この年、公式ハンディキャッパーはエルコンドルパサーに134というレーティングを与えた。レーティングは馬の強さを数値化したものだ。2023年にイクイノックスが135のレーティングを与えられるまで、20年以上にわたって日本調教馬最高のレーティングを持っていたのがエルコンドルパサーだった。

 馬主の渡邊隆氏がアイルランドで購入して米国の牧場に送った牝馬サドラーズギャルに種牡馬キングマンボを配合して誕生したのがエルコンドルパサーである。1995年に生まれた。来日したのは2年後の1月。競走馬になるため美浦トレーニング・センターの二ノ宮敬宇厩舎に入った。渡邊オーナーの所有馬にかつてエルコンドルパサーという馬名の馬がいた。95年生まれのエルコンドルパサーは二代目だ。

 97年11月にデビューすると白星街道を突き進んだ。7馬身、9馬身、2馬身とデビューから3連勝を飾った。いずれもダート戦だったとはいえ鮮やかなレースぶりに注目が集まった。しかし当時のルールで外国産馬は皐月賞やダービーなどのクラシックレースに出走することはできなかった。進路を芝路線に変えても快進撃は止まらなかった。ニュージーランドT4歳S(当時)で重賞2勝目を挙げると、NHKマイルCも制し、デビューから5戦全勝でGⅠ馬になった。

 3歳秋の初戦は毎日王冠。サイレンススズカ、グラスワンダー、そしてエルコンドルパサーと空前絶後の豪華メンバーがGⅡ重賞に顔をそろえた。サイレンススズカの逃げを捉えることができず、初黒星を喫したが、2着を確保し、意地を見せた。続いて向かったのがジャパンカップだった。

 81年に創設されたジャパンカップは18回目を迎えていた。日本調教馬も徐々に力をつけ、外国招待馬と互角の勝負ができるようになっていた。けれども日本の3歳馬が優勝したことはなかった。エルコンドルパサーがそのジンクスを打ち破った。結果的にこれが国内最後のレースになった。

1998年 ジャパンカップ©スポーツニッポン新聞社

 こうなると陣営の目は欧州に向いた。結果を出すため4歳になったらフランスで長期滞在することが決まった。5月のイスパーン賞で2着になると、7月のサンクルー大賞で海外初GⅠ制覇を達成し、凱旋門賞制覇に一歩近づいた。9月、前哨戦のフォワ賞もしぶとく勝って、大一番の凱旋門賞に向かった。

 前年の毎日王冠以降、手綱を取ってきた蛯名正義騎手は逃げの手に出た。イメージしていた戦法とは違ったが、果敢に挑んだ。結果は冒頭に書いた2着健闘だった。

 残念だったのは2000年から種牡馬になったエルコンドルパサーが2年後に急死。わずか3世代しか産駒を送り出せなかったことだ。数少ない産駒から菊花賞馬ソングウインド、ヴァーミリアン、アロンダイトというGⅠ馬を生んだ。もっと長生きしていれば、さらなる大物が生まれたかもしれない。

有吉正徳

1957年、福岡県出身。82年に東京中日スポーツで競馬取材をスタート。92年に朝日新聞に移籍後も中央競馬を中心に競馬を担当する。40年あまりの取材で三冠馬誕生の場面に6度立ち会った。著書に「2133日間のオグリキャップ」「第5コーナー~競馬トリビア集」

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