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2024年11月21日 (木)

2008年 有馬記念©スポーツニッポン新聞社

ダイワスカーレット
Daiwa Scarlet

牝、2004年5月13日生まれ
父アグネスタキオン
母スカーレットブーケ
母父ノーザンテースト
馬主/大城敬三氏
調教師/松田国英
生産牧場/社台ファーム
通算成績/12戦8勝

 ダイワスカーレットは史上初めて有馬記念を1番人気で優勝した牝馬だ。

 1956年に中山グランプリの名称で始まった有馬記念は2008年、第53回を迎えていた。前年優勝のマツリダゴッホや直前のジャパンカップを制したスクリーンヒーローなどが出走していたが、ダイワスカーレットは単勝オッズ2.6倍の1番人気に支持されていた。簡単にはばてない強力な先行力は中山競馬場の2500メートルでは有利に働くと考えられていた。実際に前年の有馬記念でも2着になる健闘を見せていた。

 14頭立ての13番枠からスタートしたダイワスカーレットは安藤勝己騎手に導かれ、1週目の1コーナーを先頭で通過した。その後もレースは淡々と流れた。2周目3コーナー、ダービー馬メイショウサムソンがダイワスカーレットに迫り、2番手に上がった。4コーナー、外からスクリーンヒーロー、マツリダゴッホも追撃態勢だ。けれどもダイワスカーレットの逃げ脚は鈍らない。アドマイヤモナークに1馬身4分の3差をつけ、先頭でゴールを駆け抜けた。

 有馬記念で牝馬が優勝したのは、59年のガーネツト、60年のスターロツチ、71年のトウメイに次ぐ37年ぶり4頭目の記録だった。また1番人気になった牝馬はダイワスカーレットの前に3頭いたが、58年のミスオンワード(7着)、95年のヒシアマゾン(5着)、02年のファインモーション(5着)と、いずれも勝利することはできなかった。半世紀以上続いた「1番人気の牝馬は勝てない」という有馬記念のジンクスはついに破られた。

 翌年も現役生活を続けたが、ドバイ遠征を控えた09年2月、脚の故障が見つかり、そのまま現役を引退することになり、結果的に有馬記念がダイワスカーレットのラストレースとなった。

 2004年生まれの同期にはウオッカというライバルがいた。07年3月のチューリップ賞で初めて対戦した。ウオッカが1着、ダイワスカーレットはクビ差の2着だった。続く4月の桜花賞ではダイワスカーレットが雪辱して優勝。ウオッカは2着に終わった。

 桜花賞の後、ダイワスカーレットはオークスを目指し、ウオッカは牡馬を相手にした日本ダービーへと向かった。ところがダイワスカーレットは発熱し、無念のオークス断念。一方のウオッカは64年ぶりの牝馬によるダービー制覇という偉業を達成した。

2007年 桜花賞©スポーツニッポン新聞社

 秋には秋華賞で再び顔を合わせ、ダイワスカーレットが優勝、ウオッカは3着だった。4度目の対戦はともに3歳で臨んだ07年の有馬記念。ダイワスカーレットは2着、ウオッカは11着だった。

 最後の対戦となったのが「平成の名勝負」として有名な08年天皇賞・秋だ。逃げ粘るダイワスカーレットにウオッカが迫り、ほぼ同時にゴールイン。長い写真判定は13分もの時間を要した。結果はウオッカが優勝。2着のダイワスカーレットとの差は約2センチだった。このレースが2頭の最後の直接対決になった。対戦成績はダイワスカーレットの3先着だった。

 有馬記念を37年ぶりに制したダイワスカーレット。ダービーを64年ぶりに勝ったウオッカ。とんでもない牝馬が2頭、同じ世代だったからこそ平成の名勝負は生まれた。

有吉正徳

1957年、福岡県出身。82年に東京中日スポーツで競馬取材をスタート。92年に朝日新聞に移籍後も中央競馬を中心に競馬を担当する。40年あまりの取材で三冠馬誕生の場面に6度立ち会った。著書に「2133日間のオグリキャップ」「第5コーナー~競馬トリビア集」

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