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2024年12月07日 (日)

1994年 皐月賞©スポーツニッポン新聞社

ナリタブライアン
Narita Brian

牡、1991年5月3日生まれ
父ブライアンズタイム
母パシフィカス(父Northern Dancer)
馬主/山路秀則氏
調教師/大久保正陽
生産牧場/早田牧場新冠支場
通算成績/21戦12勝

 ナリタブライアンは1994年、2着との差を広げていきながら三冠馬になった。

 皐月賞はサクラスーパーオーに3馬身半、日本ダービーではエアダブリンに5馬身、菊花賞ではヤシマソブリンに7馬身の差をつけた。1戦ごとに2着馬との差を広げていった。中央競馬の三冠馬は現在までに8頭が誕生しているが、こんな圧勝の連続で三冠を制した馬はナリタブライアンのほかにはいない。比較できるとしたら初代三冠馬のセントライトだ。セントライトは皐月賞で3馬身、日本ダービーで8馬身、菊花賞で2馬身半差をつけた。それでも合計は13馬身半。ナリタブライアンの15馬身半には及ばない。さらにいえば、ナリタブライアンは皐月賞と菊花賞ではレースレコードを塗り替える素晴らしいタイムをマークしている。

 1991年5月にナリタブライアンは生まれた。父ブライアンズタイム、母パシフィカスという血統だ。母のパシフィカスは早田牧場の早田光一郎場主が89年に英国のセリで手に入れた。その時、パシフィカスのお腹の中にいて、来日後に誕生したのがビワハヤヒデである。ビワハヤヒデも菊花賞、天皇賞・春、宝塚記念とGⅠ3勝を挙げる活躍をした一流馬だ。90年春、ビワハヤヒデを出産したパシフィカスと交配されたのがブライアンズタイムだ。ブライアンズタイムもまた早田場主が米国で購入した種牡馬だった。

1994年 日本ダービー©スポーツニッポン新聞社

 ナリタブライアンはブライアンズタイムの初年度産駒の1頭だ。ブライアンズタイムは種牡馬として大成功した。ナリタブライアンのほかサニーブライアン、タニノギムレットと2頭のダービー馬を送り出し、マヤノトップガン、ファレノプシスなどのGⅠ馬の父となった。今にして思えば、素晴らしい両親から生まれたエリートだ。

 デビュー6戦目の京都3歳Sでナリタブライアンは初めてシャドーロールを着けた。シャドーロールとは馬の鼻の上に装着する馬具で羊毛などで作られている。自分の影に驚くなど足元を気にする馬の視界を遮り、前方に気持ちを集中させる効果があるとされる。ナリタブライアンはそれまで5戦2勝の成績だったのが、シャドーロールを着け始めた93年の京都3歳Sから95年の阪神大賞典までは6連勝を含む10戦9勝の記録を残した。ニックネームの「シャドーロールの怪物」はこのトレードマークにちなんでいる。

1994年 菊花賞©スポーツニッポン新聞社

 JRAのGⅠレースを5勝以上した馬はこれまでに8勝したアーモンドアイを筆頭に計17頭が誕生した。その中で距離1600㍍から3000㍍までのレースでタイトルを獲得した馬はナリタブライアン以外には1頭もいない。三冠レースをぶっちぎりで制した爆発力と距離の万能性を兼ね備えていた。

 96年の高松宮杯(4着)を最後に現役を引退し、97年から種牡馬活動を始めたナリタブライアンだったが、98年9月27日、胃の破裂により急死した。7歳という若さ。種牡馬活動もわずか2年。優秀な産駒を送り出すにはあまりに短すぎる時間だった。

有吉正徳

1957年、福岡県出身。82年に東京中日スポーツで競馬取材をスタート。92年に朝日新聞に移籍後も中央競馬を中心に競馬を担当する。40年あまりの取材で三冠馬誕生の場面に6度立ち会った。著書に「2133日間のオグリキャップ」「第5コーナー~競馬トリビア集」

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