8月2日は03年に牝馬3冠を制したスティルインラブの命日だった。同馬といえば、すぐに「ノースヒルズ」の勝負服を来た幸英明騎手の姿が思い浮かぶ。
「スティルインラブとの出会いは自分にとって大きかった。それまでの自分は、ここ一番で退いてしまう騎手だった。積極的に乗っていかなければ勝機は見い出せない。そのことをスティルインラブに教えてもらった」。幸騎手がそう語ったことがある。
競馬歴の浅いファンの方には理解しにくいかもしれないが、幸騎手は、その優しい見た目の通り、勝負どころで遠慮してしまうところを見せる騎手だった。それは本人も認めている。しかし、スティルインラブが彼を変えた。優しい男は、勝負強く、メリハリのある騎乗ができる騎手となった。
まずはスティルインラブとともに挑んだチューリップ賞。圧倒的1番人気だった。最高の手応えで直線を向いたが、安藤勝己騎手(オースミハルカ)と武豊騎手(チアズメッセージ)の絶妙な騎乗の前に行き場を失った。残り100mから懸命に追い上げたが2着に敗れた。
スタンドからはブーイングが起こった。めったにない光景だった。「やってしまった。自分のミスだ。もうスティルインラブには乗れないな」。幸騎手は降板を覚悟し、松元省一師にわびた。
だが、同師は意外にも笑顔だった。「気にするな。次に勝てばいいんだから」。前田幸治オーナーにもわび、「降ろされても仕方ないところです」と話すと、オーナーは血相を変えたという。「降ろす?何を言っているんだ。君が乗ってGⅠを勝たなければ意味がないんだ」。
幸騎手は感激で体が震えた。そして、2度と甘い騎乗はしないと心に誓った。
2番人気となった桜花賞。4コーナーではチューリップ賞のデジャブ(既視感)かというシーンが起こった。またも安藤勝騎手(ヤマカツリリー)が幸騎手の前で壁をつくっていた。「ああ、同じ状況だ。だが、ここで退いたら同じ結果になる。呪縛は自分で解きにいくんだ」。
スティルインラブを鼓舞した幸騎手。そしてシーイズトウショウとヤマカツリリーの間、1頭分あるかないかのスペースを割り、1冠を手にした。
「チューリップ賞の騎乗を繰り返したくなかった。多少、強引でもいいと思っていた」。スティルインラブによって幸騎手は変わった。そしてオークス、秋華賞も制し、スティルインラブは史上2頭目(当時)の3冠牝馬へと飛翔した。
「他馬に迷惑をかけてはいけないことが大前提。その上で積極的に攻めていく気持ちは絶対に必要。そのことをスティルインラブに教えてもらった」。幸騎手は騎手人生のターニングポイントとなった馬に感謝した。
スティルインラブは07年8月2日、小腸の腸重積のため7歳の若さで急死した。「残念でならない。会いに行こうと思っていた矢先でした」。幸騎手は名牝との別れを心から惜しんだ。