競馬記者の欲望の一つに「のちのち伝説となったレースで勝ち馬に本命を打ちたい」というものがある。
代表的なのはオグリキャップの引退戦となった90年有馬記念。天皇賞・秋6着、ジャパンC11着と惨敗を繰り返し、「もう終わった」と言われたオグリキャップが武豊騎手の手綱で劇的に復活した一戦。ここで果敢にオグリキャップに本命を打った弊社の先輩記者は、この一撃で一気に有名記者となり、オグリキャップに関する本まで書いてしまった。
ウオッカが勝った07年ダービーも「本命を打っておきたかったレース」に認定していいだろう。
あのダービーは競馬好きが集まれば、かなりの確率で話題に上るが「そのダービー、ウオッカが本命だったよ。いやー、ゴール前は感動した」などと言えば、一気に場の主役だ。もちろん、筆者にはそんな勝負勘などなく、単勝1.6倍で7着のフサイチホウオーが本命だった。凡庸な記者は、競馬好きによる雑談を盛り上げることすらできないのだ。
筆者の競馬記者人生において、最も悔しい「本命を打っておきたかったレース」は05年天皇賞・秋で間違いない。14番人気ヘヴンリーロマンスが勝ち、松永幹夫騎手(現調教師)がスタンドの天皇・皇后両陛下に深々と頭を下げて拍手を浴びた一戦である。
ヘヴンリーロマンスは天皇賞前の2戦を札幌で走っていた。クイーンSで10番人気2着。そこから連闘で札幌記念に出走して9番人気で勝ち切った。
連闘で札幌記念を勝つ。これは大変なことだ。しかも当日は良馬場発表ながら雨が降っていた。発表以上にしんどい馬場の中、ファストタテヤマとびっしり馬体を併せた、し烈な追い比べの末に頭差ねじ伏せた。連闘でも、これだけのエネルギーにあふれていたことを素直に評価すれば「GⅠをいつ勝ってもおかしくない」という評価に到達してもよかった。
事前に“ヒント”もあった。この年の春、重賞で見せ場がなかったことを陣営は「疲れが抜け切っていない」と分析。これまで鳥取・大山ヒルズに放牧していたところを、北海道新冠・ノースヒルズへの放牧に切り替えた。少しでも涼しいところでリフレッシュしてほしいとの判断だが、これがハマった。心身とも戻ってスタートが決まるようになり、ラストの粘りも出てきた。クイーンS2着、札幌記念1着こそが、その証明だった。
地力強化をこの目で見た。春とはコンディションが違うという裏付けも入手した。それなのに…。有能な記者なら、この時点で本命だったのだろう。筆者はそうではなかった。
向正面。ヘヴンリーロマンスがゼンノロブロイをマークしながら絶好の手応えで進むのを見て「ひょっとするか?」と予感した。直線、外で強豪たちがゴチャつく中、インめで伸び伸びと脚を伸ばすヘヴンリーロマンス。外からは勢い良くゼンノロブロイが上がっていた。「こりゃ、ヘヴンリーロマンスは2着まで来たな。やっぱりだ」と思った。ところが、松永幹夫騎手の右ムチでもうひと伸びしたヘヴンリーロマンスは見事に差し切ってしまった。
その後のことはよく覚えていない。松永幹夫騎手による、競馬史に残る名シーンが芝コースで展開される中、筆者はいかに自分が平凡な記者であるかを改めて思い知らされ、打ちひしがれていた。