今週の東京メインはアルゼンチン共和国杯。ここ10年で3番人気以内が9勝している同レースだが、以前はハチャメチャに荒れるイメージだった。
かつての勝ち馬の人気をざっと挙げると、1990年9番人気(メジロモントレー)、92、93年は10番人気(ミナミノアカリ、ムッシュシェクル)、96年は14番人気(エルウェーウィン)、98年12番人気(ユーセイトップラン)である。どんな人気薄から買ってもいいレースだった。
中でも96年エルウェーウィンの勝利は鮮烈だった。2歳時(現表記)に朝日杯3歳S(当時)を勝ったが、その後は骨折や脚部不安もあって27連敗。3年11カ月も白星から遠ざかり、すでに6歳秋を迎えていた。これでは18頭立ての14番人気もやむを得ない。
その人気薄エルウェーウィンが外から豪快に伸びた。鞍上は3歳時の有馬記念(13着)以来、実に2年11カ月ぶりにまたがった南井克巳騎手(引退)だった。「いやあ、びっくり。末脚勝負に徹したのが良かったみたいだ」。同じ4枠の3番人気トウカイパレスが2着で、枠連4-4は2万9570円。重賞の枠連として史上2位(当時)の高配当を叩き出した。
このエルウェーウィンが3年11カ月前に勝った朝日杯3歳Sは、のちにGⅠを3勝するビワハヤヒデを破ってのものだった。菊花賞、天皇賞・春、宝塚記念を制し、名声をどんどん高めていく、同期のライバルに対し、脚元が悪いという弱点を抱えていたとはいえ、連敗を重ねていく自分。エルウェーウィンの気持ちになると本当にいたたまれないものがあった。それだけに、このアルゼンチン共和国杯は心からエルウェーウィンに「おめでとう」と言いたい気分だった。
強豪を倒しながら、その後、出世できずに苦しんだ馬は、いつの時代にもいる。古いところで有名なのはテンザンストーム。デビュー4戦目の菩提樹Sで、単勝1.7倍のタイキシャトル相手に逃げ切った。その後、フランスGⅠを勝つまでに出世したタイキシャトルとは対照的に、テンザンストームは1勝を挙げるのに苦しんだ。16着、16着、11着、15着。まるで競馬の神様から「お前は禁を犯した、その罰だ」とでも言われているような着順である。その後、900万(現2勝クラス)に降級し、ようやく菩提樹S以来の白星を挙げたが、そこまでだった。
ただ、テンザンストームは近年、名声を取り戻しつつある。娘のエアラホーヤからマジェスティハーツ(神戸新聞杯2着など)、交流重賞で大活躍するラプタスが出たのだ。これにはテンザンストームもホッと胸をなで下ろしているだろう。
新馬戦でアーモンドアイを破ったニシノウララも、その1頭か。リーチザクラウン産駒で、この新馬戦はアーモンドアイに2馬身差をつけ、まさに完勝。ついに西山茂行オーナーの執念が実る時が来たかと思ったが、その後は500万(現1勝クラス)を勝っただけに終わった。最後は2勝クラスで16、16、13、15着。同じ頃(19年秋)、アーモンドアイは天皇賞・秋を制し、わが世の春を謳歌していた。どこでこんなに差がついたのか。
以前に読んだスポーツ雑誌で秀逸な記事があった。世界一に輝いた野球のWBC。その主力選手と中学、高校時代に腕を磨いた、仲間でありライバルだった人が「あいつとは同じようなレベルだったんだ。どこでこんなに差がついたのか。自分も頑張ればあの舞台に行けたのではないかと思うことが、たまにある」と、正直な気持ちを吐露していた。
競馬は人生に似ている。誰かが言っていた言葉をエルウェーウィンから思い出す、秋である。