先週の競馬に武豊騎手がいなかったことは、みなさんご存じだろう。
同騎手は1月13日のシンザン記念でタイセイカレント(5着)に騎乗した際、直線で斜行。4頭の進路が狭くなり、1月25日から2月2日まで9日間(開催4日間)の騎乗停止となった。つまり、2月1日、2日の競馬にも騎乗できない。
自身の公式サイトで「9日間の騎乗停止となるといつ以来か思い出せないほどで、胸にズシンと響くものがあります」と記すほど、気持ちが落ち込んだ様子。
それもそのはず、騎乗停止となるのは19年6月の安田記念でのロジクライの斜行による開催1日間以来、約5年7カ月ぶりだという。

斜行はもちろん、よろしくないのだが、これだけコンスタントに乗っているのに5年半もの間、騎乗停止になっていなかったということに逆に驚く。それだけ、瞬時の判断力に優れ、気持ちが舞い上がりそうになるレース中も、冷静に馬を御し続けてきたということだ。
武豊騎手が長年、騎乗停止処分を受けずに乗り続けてきた理由。筆者には思い当たるところがある。
「武豊ならどう乗るかな。それは考えます」
ある日の栗東トレセンでの雑談のひととき。武豊騎手がなにげなく、こう話した。筆者は、手にしたボールペンを落としそうになった。
武豊騎手自身が「武豊なら」と表現する矛盾。自分はこう理解した。武豊騎手の中には「競馬の第一人者・武豊」というモデルがおり、その“心の中のモデル・武豊”ならどう乗るか、どう動くかを考え、自分も同様に行動している、ということだろう。
武豊騎手のこの言葉は衝撃だった。そこからというもの、武豊騎手の騎乗への見方が変わった。武豊騎手に“自分勝手な騎乗、わがままな騎乗”が1つもないことに改めて気がついた。
逃げれば、きちんとそれなりのペースを刻む。スローすぎて直後の馬、騎手たちが大混乱、ということは絶対にない。今回は騎乗停止になってしまったが、基本的に他馬を押しのけて進路を確保することもない。そういった動きが必要になる場所に、武豊騎手はそもそもいない。
「競馬の第一人者・武豊騎手」なら、そういう騎乗をしないから、本物の武豊騎手も、そういった行為をしない、という論理。自分を俯瞰(ふかん)しながら、自分を律していく、とでも言うのか。武豊騎手の友人であるイチロー氏とも通じるような、ごく一部の選ばれた人間にしかできない発想があるのだと感じた。
武豊騎手は大ケガに見舞われた時も、スランプに陥った時も、再び第一線へと戻ることを信じて疑わず、努力を重ねた。「武豊騎手なら諦めることはしない」と考えていたのだろう。自分を俯瞰して鼓舞する。筆者を含めた凡人にも応用できそうな発想だが…ものすごくハイレベルに違いない。