今週はマイルCS。筆者の心に強く残る覇者といえばダイワメジャーである。
先行し、勝負どころでペースを上げさせ、直線を向いて早めに先頭に立つ。後続も必死に追い込んでくるのだが、最後にもうひと踏ん張りして抑え込む。ダイワメジャーは06、07年のマイルCSを連覇したが、2着馬との着差はともに「クビ」だった。きつい競馬に自ら持ち込み、ライバルの脚を削らせ、ぎりぎり踏ん張り切る。肉を切らせて骨を断つ競馬。ゾクゾクする強さがあった。
ダイワメジャーの競走生活は波瀾万丈だった。それを美浦で間近に見ることができた筆者は幸福な記者の1人だ。伝説の第1章は有名な話だ。新馬戦のパドックで寝転んでしまったのだ。「気性が子供だったからね。実は装鞍所でも大暴れしてJRAに出走取消を打診されたほど。当然、競馬にならないんだが、それでも能力だけで2着に来た。まともに走れば相当に凄いと感じたね」と上原博之調教師は語った。
飯田直毅調教助手は「たまたま有馬記念デーだったから目立っただけのことですよ」と全く意に介していなかった。実際、新馬戦2着の後、厩舎では「ダイワメジャーを皐月賞に出走させよう」が合言葉となった。やんちゃな面を不安視するのでなく能力の高さを素直に評価した。
10番人気で迎えた皐月賞。スプリングSで3着に入り、ギリギリで切符をつかんだ馬への評価としては、こんなものだろう。だが、2番手からあっさりと抜け出し、ミルコ・デムーロ騎手を背に悠々と勝ってみせた。「さすがだなあと思って見ていた」と上原博之調教師。1勝馬の皐月賞制覇は54年ぶりだった。
しかし、その時すでに魔の手が忍び寄っていた。喘鳴症、いわゆるノド鳴りの兆候が出ていた。皐月賞は押し切ったが、ダービー前には完全に症状が出ていた。ダービーは6着。夏を休養にあて、オールカマーで復帰したが9着。天皇賞・秋は17着に大敗した。「クラシックホースが、これ以上みっともない姿をさらすわけにはいかない」。上原博之調教師は引退も覚悟した。
大城敬三オーナー、社台ファームとの協議の結果は「手術をしよう。ダイワメジャーはまだ若い。この馬の秘めた能力に懸けてみよう」。当時の技術では戦線復帰できるのが半数、手術前のピーク時に戻れるのが半数というイメージ。25%の確率に託し、社台クリニックがメスを入れた。
手術を終え、美浦に戻ったダイワメジャー。ノドは相変わらずヒューヒューと音を立てたが、空気は気道にうまく入っているようだった。ずいぶんと楽に走っているように上原博之調教師には見えた。
そしてダイワメジャーが関係者の執念に応える。復帰戦のダービー卿チャレンジトロフィー。トップハンデ57.5キロをものともせず、2番手からあっさり抜け出し、皐月賞以来の勝利を飾った。
「ノドが楽になったとはいっても調教と競馬は違う。実際のレースで果たしてノドが耐えられるのか不安もあった。勝った時は、とにかくホッとした」(上原博之調教師)。ここで惨敗すれば周囲が何を言っても反論できない。ここは調教師人生を懸けた重要な局面であり、ダイワメジャーにとっても競走馬人生のターニングポイントだった。
窮地を乗り切ったダイワメジャー。ここから、見る者を震え上がらせるような馬へと進化していくのだが、その話はまた次稿で。