9日の東京新聞杯を3番人気で制したのはウォーターリヒトだった。河内洋調教師の定年引退(3月4日)に花を添える快走として今後も長く記憶されるだろう。
2月末は競馬界にとって別れの季節であり、筆者も悲喜こもごも、さまざまなシーンを見てきた。最も記憶に残るのは06年阪急杯。ブルーショットガンを駆り、松永幹夫騎手(現調教師)が現役ラストデーをド派手に飾った一戦だ。
2月26日。その日は未明から雨だった。芝、ダートとも不良でスタート。この時点でブルーショットガンが勝つイメージは全く湧かなかった。2走前、不良馬場の淀短距離Sで1秒3差8着に完敗しており、それ以前にも重・不良馬場で特筆すべき成績は残していなかった。
15頭中11番人気。松永幹夫騎手のラスト重賞であることは馬券を買うファンは全員知っている。だが、残念ながらそれでも買えない。そんなムードが漂っていた気がする。3走前に1600万クラス(現3勝クラス)を勝ってオープン最昇級。そして8、13着。これでは買いにくい。今、もう一度同じ状況があっても筆者は買えないだろう。

それでも不可思議なことが起こるのが競馬だ。中団7番手付近を進んだブルーショットガンは直線、外に進路を取ると、全くノメることなく矢のように伸びたのだ。先団の馬たちを苦もなく抜き去り、懸命の追い上げを見せるコスモシンドラーを半馬身退け、11番人気馬の劇的勝利は成った。
「びっくりしましたね。あんなに走ってくれるなんて」。松永幹夫騎手が笑顔で語った。
だが、“ミキオ劇場”はこれだけでは終わらなかった。
最終12R。今度は1番人気のフィールドルージュにまたがると4角4番手から抜け出し、後続を突き放して圧勝。通算勝利数を「1400」に乗せたのだ。
この日の騎乗馬は5頭。2勝を挙げれば大台に届く計算だった。だが、2Rは2番人気で7着。6Rが1番人気で2着。この時点で1400勝は一気に厳しくなった。9Rは5番人気で6着。残り2鞍で2勝が必要という、まさに崖っぷちに追い込まれた。そんな、針の穴に糸を通すような状態を松永幹夫騎手は見事に突破してみせた。
「阪急杯まで負け続けたので1400勝は無理だろうと思っていた。今年6勝しかしていないのに最終週の土日で4勝もできるなんて、僕は幸せ者です」
イソノルーブルやキョウエイマーチ、チアズグレイスなどとのコンビで「牝馬の松永」と呼ばれた。だが、決して牝馬だけではない。土壇場において、とんでもなく勝負強い男であることを、最後の最後に松永幹夫騎手は示してみせた。
男から見ても100%イケメン。温厚な性格で騎手をはじめ、関係者からは絶対的な信頼を置かれていた。05年天皇賞・秋をヘヴンリーロマンスで制し、スタンドで観戦する天皇、皇后両陛下(当時)に馬上で礼をした姿は日本競馬史における代表的な1ページとなっているが、今思えば、あの役を務められるのは当時、松永幹夫騎手か武豊騎手しかいなかったのではないか。競馬の神様が、しっかりと人材配置をした結果のように思えて仕方ない。
神様といえば、この阪急杯デーが終わった後、松永幹夫騎手は「今日は神様が降りてきたのかな」と話した。よくよく、競馬の神様に愛された男である。