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2025年03月12日 (水)

 日本中を熱狂させ、今やレース名(弥生賞ディープインパクト記念)にまでなってしまった怪物ディープインパクト。今週は、その弥生賞ディープインパクト記念ということで、ディープインパクトの弥生賞(05年)を振り返っておきたい。

 筆者はこの時、すでにディープインパクトの番記者だった。上司から特に指名されてはいないが、担当の市川明彦厩務員と旧知ということで、自然とそのポジションに収まった。

ファンがぎっしりのパドック。全員の視線がディープインパクトに注がれた©スポーツニッポン新聞社

 05年弥生賞前。デスクとレースを報じる紙面について話した。「勝つのはディープで間違いなさそうだな。いつも通りの勝った、強かったの原稿ではなく、競馬場がどのくらい“熱かった”か、ファンはディープがどのくらいの馬になると予想しているか、など当日の競馬場の熱気が伝わるようなものにしてくれ」。デスクの読みは正解だった。弥生賞当日の競馬場は、まるでGⅠかというホットな空気に包まれた。

 デスクの方針に従い、普段よりかなり早く中山競馬場へと向かった。開門前の雰囲気をつかむためだ。驚いた。これは有馬記念かという行列ぶりだった。GⅡではあまり見ない徹夜組も35人。JRAがカウントしたところ、午前9時の開門時に並んだ人は2870人だったという。先頭に近いところにいる若い男性に聞くと「もちろんディープインパクトを見に来た。伝説の一戦となる気がするんです」。そう言って開門と同時にダッシュしていった。

 競馬場に最も近い「古作第1駐車場」に向かうと、早々と「満車」の文字。9時1分にはもう満車になったという。JR西船橋駅、京成・東中山駅との直通バスが入るターミナルに足を運ぶ。運転手に話を聞くと「今日はGⅠじゃないんだろ?いつもの1.5倍は人がいるぞ。いったい何があるんだ」と驚いていた。

 レースは詳しく振り返るまでもないだろう。互角のスタートを決めたディープインパクトは、4コーナー手前で外から馬なりで上昇する余裕。残り200を切って先頭に立つと、内から迫るアドマイヤジャパンを首差しのぎ切り、初重賞制覇となる3勝目を挙げた。着差こそ「首」だが、まだまだディープインパクトには余裕があるように見えた。レース後のウイナーズサークル周辺にはカメラを手にしたファンが殺到。GⅡでは見たことがない風景だった。

 武豊騎手や池江泰郎師の会見が終わった後、最後の業務が待っていた。場内に残っているファンに弥生賞の感想、ディープインパクトにこれから何を期待するかを聞くのだ。

弥生賞優勝後のウイナーズサークル。ディープインパクト見たさにファンが殺到した©スポーツニッポン新聞社

 23歳のある男性が答えてくれた。「3コーナーからディープインパクトが上がっていくと、場内が一体となって沸きました。GⅠ並みでしたよ。1頭だけ違う次元で競馬していたと思うし、ダービーはもう決まりでしょう」。いやー、このまま新聞に載せていい模範のような回答。本当にそのままスポニチに掲載させていただいた。他にも「3冠は決まった」「皐月賞は当確ですね」などもあった。

 記者席へと戻り、パソコンを開く。今日一日、目にしたことを脳裏で振り返った。最も印象深かったのはレース後のウイナーズサークル。ディープインパクトを写真に収めたいファンが殺到する様子を見て、これまでの競馬とは異なるものを感じた。当時は、すぐには分からなかったが、今は分かる。現代でいう“推し文化”の先駆けが、あのウイナーズサークルにあったような気がする。

 ディープインパクトは一介の競走馬ではなく、“推せる”キャラクター。そのことがおぼろげに分かった弥生賞だったが…、そこまで分析できる力は当時の筆者にはなかった。

鈴木正

1969年(昭44)生まれ、東京都出身。93年スポニチ入社。96年から中央競馬担当。テイエムオペラオー、ディープインパクトなどの番記者を務める。BSイレブン競馬中継解説者。

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