今回も天皇賞・春にスポットライトを当てたい。前回は「メジロマックイーンVSトウカイテイオー」を取り上げたが、今回はその翌年(93年)。「メジロマックイーンVSライスシャワー」だ。
ともに競馬史に残る名ステイヤー。メジロマックイーンは90年菊花賞を勝ち、91、92年天皇賞・春を連覇。その後に骨折が見つかり、長期離脱したが、93年大阪杯(当時GII)を5馬身差快勝。史上初の同一GI3連覇に王手を懸けた。
一方のライスシャワーも92年菊花賞馬。93年は目黒記念2着、日経賞1着と状態を上げ、盾の大一番に臨んだ。

バチバチと火花が散るようなレースだった。メジロパーマーが後続を離して逃げる。メジロマックイーンは4番手付近で流れに乗った。その直後。マックイーンの尻に鼻が付きそうなくらいの位置にライスシャワーがいた。マックイーンがスパートすれば、すぐに付いていく。徹底マークで王者にプレッシャーをかけ続けた。
残り300メートル。マックイーンがパーマーをかわしに行こうと動いた。その瞬間だ。すかさず動いたライスシャワーが2頭をかわし、一気に前に出た。姿勢を低くして突き放す黒鹿毛の弾丸。2馬身半差、勝負は意外なほどに差がついた。
「ライスシャワーがマークしていることは分かっていた。自分の競馬はできたが相手が一枚上だった」。メジロマックイーンの武豊騎手はサバサバとした表情で完敗を認めた。
ライスシャワーの的場均騎手は喜びを表に出さず、淡々とインタビューに答えた。「全てが思い通りだった。相手はマックイーン1頭に絞っていた。道中もマークしたし、4コーナーでマックイーンの直後に取り付くことができた時、いけると思った」
コメントにあるように全てがうまくいった一戦だが、実は前夜、的場騎手はいったんは苦戦を覚悟した。前日は東京で騎乗し、新幹線で移動。京都駅に着いた時、ホームが濡れているのを見て落胆した。関西地方は雨が降っていた。
「重馬場ならマックイーンを倒すのは難しいんじゃないか」。パワーで押すマックイーンに対抗するには、ライスシャワーから切れとスピードを引き出すしかないと考えていた。水を含んだ馬場は、すなわちマックイーンが望む土俵だと思えた。
京都競馬場の調整ルーム。的場騎手は、ほとんど眠れなかった。何度も窓を開けた。雨は小降りになり、やがてやんだ。ただ、馬場が乾くには風がいる。風よ吹け。祈るような気持ちだった。
願いが通じた。早朝から風が吹いた。風速7メートル。芝は、やや重から天皇賞の前には良へと回復した。追い風を体いっぱいに受け、ライスシャワーは快走した。
前年の菊花賞ではミホノブルボンの3冠を止め、今回はメジロマックイーンの天皇賞・春3連覇の野望を打ち破った。「関東の刺客」と呼ばれ、偉業を阻止する存在と認識されていたライスシャワー。だが、ライスにも的場騎手にも、そのような意識は全くなかったはずだ。純粋に勝負に勝つため、己を磨き、強敵に立ち向かっていく。その結果につかんだ白星が、たまたま偉業を阻止しただけだ。
430キロの小さな馬体を懸命に躍動させた希代のステイヤー。競走馬人生の最期は不幸なものだったが、いつまでも語り継いでいきたい勇敢な馬だった。