迎えた宝塚記念当日。前日昼は“ミラクルさん”の登場に福島の地で胸躍ったが、午後3時過ぎにはシンボリクリスエスが1番人気となり、前日発売締め切りの午後7時にはヒシミラクルは4.3倍の2番人気に落ち着いた。ミラクルおじさんのことは頭からすっかり消えていた。
福島メインの福島テレビオープンが終わった。記者室から検量室前に下り、関係者からコメントを取り終えた頃、ファンファーレが流れ、宝塚記念がスタートした。各記者とともに福島競馬場のターフビジョンで観戦した。

直線を迎える。先に抜け出した1番人気シンボリクリスエス。だが、突き放せそうにない。首が高く、力を感じない脚さばき。そこに外から迫ったのがヒシミラクルとツルマルボーイ。残り100を切ってヒシミラクル先頭。ツルマルボーイの強襲をクビ差、しのぎ切っていた。
「あの人当たったぞ!」。前回紹介した“第一発見者”の敏腕記者が声を上げる。自分もわれに返った。そうか、すっかり忘れていた。敏腕記者がすかさず計算する。1222万円×単勝16.3倍。「1億9900万!」。目を丸くして顔を見合わせた。
ヒーローインタビューでは角田晃一騎手が、してやったりの表情を見せていた。「最後までしぶとかったですね」。その後の言葉に驚いた。「1222万円買った人がいるそうですね。すぐに(配当を)計算しましたよ。僕よりはるかに凄い勝負師がいるんですね。でも、人気はいいんです。1着さえ取れれば」
当日、阪神競馬場にいた他社の記者に聞くと、検量室内でも「ミラクルおじさん」の話題があちこちで出ていたという。それにしても殊勲の角田騎手に、おじさんの配当を計算する心の余裕があったとは。この大一番を勝つだけのことはある。
さて、その配当は1億9918万6000円。宝塚記念の1着賞金・1億3200万円をはるかに上回った。
前日からの流れで、すっかりヒーローとなったミラクルおじさんの記事は福島から書くこととなった。くだんの広報マンも目を丸くした。そして「バブルの頃は高額払い戻しの話もよく聞いたが、ここ数年は聞いたことがない」というコメントを出した。
さらに、異例の呼びかけを付け加えた。「非開催日の競馬場、ウインズに2億円近い現金は用意していないんです。できれば開催日の競馬場で払い戻してほしい」
ちなみに、この約2億円がさらに“転がされた”時は、その情報を伝えてほしいとJRAにお願いし、了承もされたのだが、続報はなかった。2億円が払い戻されたという情報も伝わってこなかった。JRAがおじさんのプライバシーに配慮したのかもしれない。恐らく、ミラクルおじさんの大冒険は、ここで終了したのだろう。
その十数年後、筆者はある調教師から「ミラクルおじさんの正体をオレは知っているぞ」と聞かされた。突っ込んで聞けば、正体が分かったのかもしれないが、やめておいた。こういう話は手が届かないところにあるからいい。知らないままだからこそ、こうして当時の話を無邪気に書けるのだ。おじさん、楽しませてくれて本当にありがとう。