UMATO

2025年08月17日 (日)
中京記念 / 札幌記念

 今週はラジオNIKKEI賞。といえば、筆者が真っ先に思い出すのは、まだ「ラジオたんぱ賞」だった02年の優勝馬カッツミーである。

 とてつもない追い込みだった。4角14番手から前の13頭を全てのみ込んだ。競馬場の記者席で思わずのけぞった。

 今回、書くに当たってネットで映像を見直すと、テレビの実況は「カッツミーがやってきたー!何ということだー!」と絶叫していた。「何ということだ」という言葉も凄いが、割と当時の状況を言い当てているのではないか。連闘の8番人気馬。アナウンサーにとっても勝ち馬予想の範ちゅうの外にいた馬だったのだろう。

カッツミーで02年ラジオたんぱ賞を制し、ガッツポーズの内田利雄騎手©スポーツニッポン新聞社

 皐月賞4着馬(ダイタクフラッグ)や同6着馬(サスガ)がいたハイレベルな一戦。1000メートル通過は58秒2と少々速く、それでいて3コーナー過ぎで有力各馬が上昇する、息の抜きどころのない消耗戦となった。

 カッツミーはこの流れについていけない。序盤は10番手だったが、4角では14番手へと位置を落とした。

 だが、鞍上の内田利雄騎手は諦めていなかった。脳裏にあったのは先週の前走・栗子特別でカッツミーをVに導いた丸山侯彦(よしひこ)騎手からのアドバイス。「直線で間に合わないと思っても間に合うから」

 事情の分からない方に説明すると、内田騎手は当時まだあった宇都宮競馬の名手。丸山騎手は同じく高崎競馬のトップ騎手だった。今はもうない北関東競馬の“顔”が連絡を取り合い、“連闘で連勝”に導いたことが今、思えばグッと来る。

 その丸山騎手の言葉を信じて追い出した内田騎手。カッツミーがハミを取った。「だいぶ離れているけど馬群は固まっている。いけるかもしれない」。1頭、2頭と抜き去り、残り30mで先頭に立つ。地方競馬の騎手によるJRA重賞でのアップセットが成った瞬間だった。

 「なかなかチャンスはもらえないが、騎乗依頼があったら、責任は果たしたいと常に思っています」。お立ち台でそう語ると場内からは拍手。内田騎手も手を振って応えた。いい仕事をする自信はある。表情がそう語っていた。

 南田美知雄調教師が面白いエピソードを明かした。ラジオたんぱ賞での鞍上。最初は引き続き、丸山騎手に打診したが乗れないという。そこで丸山騎手が「僕の代わりに」と推薦したのが内田騎手だった。名手同士の友情、“あいつならやってくれる”という信頼感。アツいものが伝わってきた。

 内田騎手は宇都宮競馬場廃止(06年)後も騎手を続け、各地の地方競馬で騎乗。マカオ、釜山と海外でも期間限定騎乗を経験し、12年4月からは浦和競馬に腰を据えた。その勝負服から「Mr.ピンク」として親しまれ、明るいキャラクターで人気となった。

 その内田騎手も今年3月で引退。4月1日付で地方競馬全国協会の参与(マイスター職)に転身し、地方競馬教養センター(栃木県那須塩原市)で騎手候補生の育成指導に当たっている。栃木県の競馬場から身を起こし、栃木の教養センターで第2の人生がスタート。何か運命めいたものを感じる。

 いつか、内田参与が手塩にかけた“内田チルドレン”から、名手が出ることを期待したい。師匠直伝の豪快な差し切りを見たいものだ。

鈴木正 (Tadashi Suzuki)

1969年(昭44)生まれ、東京都出身。93年スポニチ入社。96年から中央競馬担当。テイエムオペラオー、ディープインパクトなどの番記者を務める。BSイレブン競馬中継解説者。

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