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2024年10月09日 (木)

 前回に続いて「競馬に絶対はない」の話を。タイキシャトルの現役最終戦、98年スプリンターズS。これは本当に負けないと思った。

 3歳時のユニコーンSからGⅠ5勝を含む8連勝。その中にはフランスでのジャック・ル・マロワ賞もあり、タイキシャトルは世界指折りの強豪だった。単勝は1.1倍。しかし…。3歳馬マイネルラヴの後塵を拝し、牝馬シーキングザパールにもかわされて3着。ゴール直後、中山競馬場全体があっけに取られた雰囲気だった。

98年スプリンターズS。マイネルラヴ(中央)に敗れ3着に終わったタイキシャトル(左)©スポーツニッポン新聞社

 苦い思い出がある。スプリンターズS前日。中山入りした関西馬を取材し、原稿に起こすために遅い時間まで記者席でパソコンを叩いていた。スタンドから観衆は一切いなくなり、電気も落ちて真っ暗だった。

 その時だ。ターフビジョンに映像が流れ「おめでとう!タイキシャトル号」という文字が派手に躍った。翌日に備えて、あらかじめ用意した画像を試験的に流したのだろう。

 その時、改めて思ったのだ。JRAだってタイキシャトルが勝つと思って準備している。やはり最強馬が有終の美を飾るのだ。間違いない。自分もタイキシャトルVに備えて、できるだけの準備をしなければ。

 そこから取りつかれたように調べに調べた。有終の美を飾った主な名馬。単勝1倍台でGⅠを制した馬…。気がつけば、記者席に残ったのは自分1人。そして…全ての原稿が幻となった。

 まあ、それは自分が勝手にやったこと。一方的に思い込んだ自分が悪い。

 タイキシャトルが敗れたシーンは衝撃だった。短いはずの中山の直線が随分と長く感じられ、ストップモーションのように見えた。

 特にシーキングザパールが迫って、もうひと伸びできなかったのがショックだった。シーキングザパールの赤い勝負服が見えた時、「ああ、タイキシャトルは3着だ」という確信めいた予感が頭をよぎった。当時は3連単がなく馬連が主流。2着なら“責任は果たした”というムードが出る。しかし3着では、それもない。タイキシャトルはファンの馬券的期待も裏切るのか。関東記者として見ていられなかった。

そのスプリンターズSの後に行われた引退式。無念の表情でタイキシャトルを引く藤沢和雄師©スポーツニッポン新聞社

 藤沢和雄師はレース後、殺到する記者の前でこう語った。「彼はもう走りたくなかったんだ。いつかは闘争心を失う時が来るのだと感じていたが…。ファンには申し訳ないことをした」。調教を見ても、パドックを見ても、そんな雰囲気はみじんも感じなかった。ただ、調教師をはじめスタッフは何かを感じ取っていたのだろう。

 岡部幸雄騎手は「シャトルは怒っていた」と説明した。「ゲートでもレース中も、ただ怒っているだけ。気持ちだけが空回りしてしまった」

 自分はこう想像した。海外GⅠも制し、功成り名を遂げた。そのことは馬も感じ取っていた。そろそろ戦いの舞台から降ろしてもらえるだろう。えっ?まだ走るって?仕方ない、一戦(マイルCS)は走ってやる。えっ?もう一戦?いいかげんにしなさいよ。僕だって闘争心は無限ではないよ…。タイキシャトルは、そう訴えていたのだと思う。

 当時はまだ記者2年目。駆け出しもいいところだったが、このレースを見て、そして藤沢和雄師の言葉を聞いて確信した。馬にも心があり、気持ちがある。そこを大事にしなければいけない。記者も、馬が何を考えているかを読み取らなければいけないのだ。

 馬はロボットではない。心のある生き物。ハートが弱ったり、壊れる時もある。そのことに気付けたことは記者にとって大きかった。早い時期にそれを教えてくれたタイキシャトルには感謝している。

鈴木正

1969年(昭44)生まれ、東京都出身。93年スポニチ入社。96年から中央競馬担当。テイエムオペラオー、ディープインパクトなどの番記者を務める。BSイレブン競馬中継解説者。

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