今週は七夕賞。といえば、筆者にとって忘れられないのが96年優勝馬サクラエイコウオーである。
当時2年目、21歳の西田雄一郎騎手(現調教師)を背に、5番人気の伏兵がスイスイと逃げ切った。屈腱炎に見舞われ、何とか戦線復帰したものの、重賞で2桁着順を並べた馬が、まるで魔法でもかけられたように4馬身差の圧勝を決めたレースぶりに衝撃を受けた。
今、思えば、これぞ境勝太郎調教師(引退)によるマジックである。順を追って説明したい。
サクラエイコウオーは母系をたどればスワンズウッドグローヴにさかのぼる、谷岡牧場が誇る、当時日本一の牝系だ。この牝系からはサクラチヨノオー、サクラホクトオーの兄弟、サクラプレジデントが出て一世を風靡(ふうび)した。

実は先日の函館記念で2着のハヤテノフクノスケもこの牝系。スワンズウッドグローヴ系は現代も“生きて”いるのである。
話がそれた。そんな血統的期待を背負ったサクラエイコウオーであるが、デビュー戦では何と、4コーナーを回れずに逸走、競走中止となってしまった。
その後も朝日杯3歳S(当時)ではハイペースで逃げて最下位14着に失速。ダービーは3番人気に支持されたが11着に完敗した。高い潜在能力を秘めながら、レースで平常心を保てないタイプに見えた。
さらには屈腱炎に見舞われ、2度の長期休養。復帰しても重賞では11、12着と全く歯が立たなかった。
96年エプソムCでマーベラスサンデーの12着に完敗した後、七夕賞に向かうことが決まったサクラエイコウオー。境勝太郎師は、長男である境征勝調教師の弟子であり、まだ2年目の西田騎手に声をかけた。「お前、七夕賞に乗りたいか?」
主戦だった小島太騎手はすでに引退して技術調教師となっていた。境勝太郎厩舎は売り出し中の横山典弘騎手や東信二騎手(引退)に主に騎乗依頼をしていたが、ここで2年目の若手に白羽の矢を立てた。
境勝太郎師は境征勝厩舎の所属である西田騎手にも非常に目をかけていた。「あいつは神奈川の高校に行っていたのを中退して馬の世界に来たんだ。苦労人なんだよ」と、よく話していた。
西田騎手はデビュー年の95年は10勝。まずまずのスタートを切ったが、逃げ切りが多かった。「逃げてばかりでは、勝つこともあるかもしれんが、うまくはならんぞ」。境勝太郎師は口を酸っぱくして、新人の西田騎手にそうアドバイスした。
だが、同時に境勝太郎師は西田騎手の“逃げる技術”を評価もしていた。「あいつは馬を気分良く逃げさせることにたけている」。西田騎手のいないところで、そう話していた。気分良く逃げることができれば、サクラエイコウオーはまだやれる。西田ならうまく誘導してくれるんじゃないか。そうにらんでの起用だった。
結果は境勝太郎師の想像した通りとなった。8枠17番からのスタートだったが無理なくハナに立ち、1000メートル通過60秒2のマイペースを刻み、4馬身差をつけて悠々と逃げ切った。
境勝太郎厩舎は、この年、絶好調で七夕賞が早くも重賞6勝目となった。中には天皇賞・春(サクラローレル)なども含まれていたが、師は迷うことなく「今年は重賞をいくつか勝たせてもらっているが、この1勝は格別だ」と言い切った。
「逃げてばかりでは駄目」と言いつつ、孫弟子の逃走センスを評価し、ここ一番で起用する。調教師による采配も競馬の重要な要素であると改めて知った一戦だった。今は調教師として奮闘する西田氏。境ラインを継ぐ者として、人も馬も育ててほしい。