8月17日はタイキシャトルの命日(22年死亡)だった。
今も日本競馬史にさん然と輝く、フランスGIジャックルマロワ賞制覇が98年8月16日。夏のこの時季といえばタイキシャトルの栗毛の馬体をどうしても思い出す。
筆者は、ありがたいことにこのジャックルマロワ賞を目の前で見ていた。社命により、海外出張をしたというわけである。いい機会なので、当時のフランス遠征をできる限り思い出して、記してみたい。

まずは調教からだ。フランスの朝は挨拶から始まる。タイキシャトルが馬房を間借りするトニー・クラウト厩舎の前でシャトルの登場を待つのだが、その間、目の前を通るクラウト厩舎のスタッフは馬上から次々と「ボンジュール!(おはよう)」と日本人記者たちに挨拶してくれた。
最初は、どう返すべきかよく分からなかったが、そのうち日本人記者たちも「ボンジュール!」と元気よく返すようになった。現地風に少し口をすぼめたりして…。最初はちょっとしたカルチャーショックに戸惑ったが、素晴らしい習慣だと思った。
クラウト厩舎はシャンティイ調教場の中に入って調教を見届けることを許してくれた。クラウト師とは別の現地の調教師が、見慣れぬ顔を珍しがって話しかけてきた。
「先週は楽勝だったね」。シーキングザパールがドーヴィルでGIモーリスドゲスト賞を制したことを言っていた。「あんなに楽に勝たれちゃ、こちらは大問題だよ。もう1頭(タイキシャトル)はもっと強いんだろ?勘弁してくれよ」。どう返したかは忘れたが、シーキングザパールとタイキシャトルの力関係をフランスの一調教師が把握していることに驚いた。この会話は今もはっきりと覚えている。
追い切りは併せ馬で行った。相手は現地のサニーヌという牡馬。タイキシャトルの調教パートナーとなるため、大樹グループが現地で購入、クラウト厩舎に入厩した。
タイキシャトルと併せるということは、それだけの肉体、精神力を持っていなければいけない。実際、クラウト厩舎のスタッフに聞くと「サニーヌはウチの厩舎の中でもトップクラスの能力の持ち主だ」とのことだった。最終追いでもタイキシャトルをよく引っ張り、見事なパートナーぶりを披露した。

藤沢和雄調教師は追い切り後「これで十分、順調に来た。見た感じ立派だけど、輸送もあるし心配していない」と語った。日本人記者たちも同じ見立てだった。栗毛の馬体は光沢を放ち、美浦での雰囲気と全く変わらないように見えた。「海外では負け慣れている。君たち(報道陣)も土産は今のうちに買っておけよ」。取材の最後に出たジョークを聞き、ほとんどの報道陣はタイキシャトルの勝利を確信したはずだ。少なくとも筆者はそうだった。
迎えたジャックルマロワ賞。タイキシャトルは快勝を収めた。抱き合う関係者、涙ぐむ岡部幸雄騎手。“恐らく勝てるだろう”とは思っていても、いざ勝つと報道陣もホッとした気持ちになった。
「ラスト300メートルで勝てると思った。地の利のある欧州馬相手に大したヤツだよ」と岡部騎手。藤沢和雄師は、夢がかないましたね?の問いに「まだまだ、これからですよ」と冷静に語った。そんな藤沢さんの姿が本当に頼もしく見えたことをつい昨日のことのように思い出す。