今週から秋競馬。中山のメインは京成杯オータムハンデだ。
といえば…オールドファンにとってはやっぱりマティリアルなのである。89年のこのレース(当時は京王杯)優勝を最後に天へと召された悲劇の馬を紹介したい。

84年生まれのマティリアルは父パーソロン、母の父スピードシンボリ。この血統構成はシンボリ牧場が送り出した傑作・シンボリルドルフと同じ。デビュー時から大きな期待を集めた。
新馬、寒梅賞を制し、3戦2勝でスプリングSへ。東西2歳(当時3歳)GⅠを制した2頭(メリーナイス、ゴールドシチー)が登場する豪華な一戦だったが、マティリアルは何と1番人気に支持された。
そしてマティリアルは圧巻のレースぶりを見せた。
12頭立て、小雨の良馬場。ウインストーンを先頭に馬群が固まって進む。そんな中、マティリアルはポツンと離れた最後方だ。スタンドはザワついた。4角でも、下がってきたカツゴーストをかわしただけの11番手。普通なら絶体絶命の大ピンチだ。
粘るウインストーン。捉えにかかったバナレット。これで決まったと思ったその瞬間。馬群を縫うようにマティリアルが飛んできた。最後は外から計ったようにバナレットを差し切った。
大歓声に包まれる中山競馬場。その時だ。何十人ものファンが1コーナー横のウイナーズサークルに向かってダッシュして行ったという。あまりの衝撃的なレースぶりに一目、勝ち馬を見ようと、傘も差さずに走って行った、と先輩・富樫嘉美記者はスポニチに記している。その風景がありありと目に浮かぶのは筆者だけではあるまい。
検量室前。岡部幸雄騎手(引退)が興奮気味にこう語った。「ミスターシービーしちゃった」。この言葉には深い意味がある。岡部騎手は、現代競馬では先行抜け出しが理想であり、ミスターシービーのような決め手一辺倒の勝負ではリスクもある、と考えていた。なのに、自分がそれをやってしまった、という、やや照れも含めての言葉である。
「スタートしてから前がゴチャついていたので、様子を見ていたら、みんながどんどん先に行ってしまったんだ」と“ミスターシービー戦法”となった理由を明かした岡部騎手。その後の言葉がこの馬の評価を決定的なものにした。
「シンボリルドルフと一緒にしちゃ、まだかわいそうだけど、シリウスシンボリはもう超えているはずだよ」
今年の牡馬クラシックはマティリアルで決まり。そういうムードになったのは当然だろう。
だが、そこからマティリアルは敗戦を重ねることとなる。皐月賞は1枠1番からスタートダッシュに失敗。4角を15番手で回り、3着まで押し上げるのが精いっぱいだった。
迎えたダービーは単枠指定。広々として、直線の長い東京なら末脚が届くという判断だったか。マティリアルは1番人気に推されたが、馬体は皐月賞から16キロも減っており、万全でないことは明らかだった。屈辱の18着(24頭立て)に大敗した。
その先は書くのもつらいほど先の見えない道のりだった。セントライト記念7着を最後に岡部騎手は降板。菊花賞は柴田政人騎手(引退)の手綱で挑んだが13着。2度のGⅢ2着こそあったが、スプリングSでの衝撃を思えば物足りない。気付けば皐月賞3着から14戦も白星から遠ざかっていた。
そして89年9月10日。5歳の秋を迎えていたマティリアルは運命の京王杯オータムハンデに臨む。鞍上には12戦ぶりに岡部騎手の姿があった。続きは次回に。