競馬場の跡地を訪ね、当時をしのばせる「カーブ」を全身で味わうシリーズ。今回は群馬県高崎市の高崎競馬場跡地を訪問した。
高崎競馬場は1924年(大13)開設。宇都宮、足利競馬場とともに北関東競馬を盛り上げたが、2004年(平16)12月31日をもって廃止された。ちなみにラストデーは降雪に見舞われ、9~12Rを行うことなく、8Rをもって開催を終了。その“最終”8Rを勝ったのは、競馬リポーターとして現在、活躍中の赤見千尋さんだった。

そんな基礎知識を頭に置き、新幹線に乗る。東京駅から約1時間。あっという間に高崎駅だ。これなら休日に東京からサッと足を伸ばして競馬を楽しめる。しかも東口から徒歩15~20分程度で競馬場に着くことができそうだ。最高の立地条件なのに…。かえすがえすも廃止が惜しまれた。
ちょっと脱線するが、東口から競馬場跡へと向かう間、通りを挟んで右側にビックカメラ、左側に太陽誘電のオフィスが見えるスポットがあった。ともに高崎市を本拠地とするソフトボールチームを持つ企業。ソフトボールファンにとっては何ともエモい通りだ。上野由岐子さん、歩いてないかな(いるわけない)。
その太陽誘電が見える交差点を右に曲がり、しばらく歩く。住宅地から、いきなり視界が開けた、旧競馬場の4コーナーに到着だ。あの丸山侯彦(よしひこ)騎手が、赤見千尋騎手が、騎乗馬にグッとムチを入れたポイントである。カーブは滑らかで実に美しい。

近くにある看板で確認する。競馬場跡地は「Gメッセ群馬」という巨大なコンベンションセンターとなっていた。ただ、旧3~4コーナー付近には建造物はなく、屋外展示場スペースとなっている。これでパトロールタワーでも立っていれば、まだまだ競馬場の雰囲気だ。そして外周は緑道として、きれいに整備されていた。
トレーニングウェアに身を包んだ高齢の紳士が緑道を散歩していた。衝動的に声をかけた。昔の競馬場を訪ね歩いている者です、と伝えると、けげんな表情をするでもなく「ああ!」と一瞬で主旨を理解してくれた。紳士は競馬場の頃から、この近隣に住み、競馬場の歴史をつぶさに見てきたそうだ。
「外周に桜の木があるでしょう。あの木は競馬場の頃からあったものなんですよ」。いきなり風情のある話。競馬場の頃も、コンベンションセンターとなった今も、桜の木はその移り変わりを見守ってきたということか。
話の展開があまりにスムーズで分かりやすいので、この方、現役時は相当に仕事ができただろうと勝手に判断。新聞記者の本性が出てしまい、「競馬場の頃は馬主もされていたとか?」と飛躍した質問をしてみた。すると驚きの返事がかえってきた。
「いや、僕は馬は持っていなかったですが、貴賓席にはよくお邪魔しましたよ。付き合いのあるF社の冠レースに呼んでいただき、表彰式に一緒に下りたりしました」。紳士は遠くを見つめるような目になった。
地元の中小企業の元社長さんかな?と想像したが、そこまで聞くのは野暮というもの。会話を楽しみながら、赤見騎手が1着でゴールを駆け抜け、目の前の紳士がスーツ姿で表彰するシーンを想像してみた。ものすごく、しっくり来た。


高崎競馬場のメインレースを4コーナーの外周から見つめている自分。馬たちがムチを入れられ、懸命にゴールを目指す後ろ姿が見える。そんな風景へと一瞬、タイムスリップした(マジです)。紳士との出会いに感謝しつつ、続きは次回。