今週は中山でオールカマー。地方所属馬との激突が注目された時代から、数々の名勝負を生んできた伝統ある重賞。筆者の心に強く残るのは92年。イクノディクタスが制した一戦だ。
前年の覇者ジョージモナーク(大井)、翌年に帝王賞を勝ち、オールカマーでも2着(勝ち馬ツインターボ)に入る的場文男(引退)のハシルショウグン(大井)と地方勢は強力。迎え撃つ中央勢も北九州記念をレコードで制して意気上がるヌエボトウショウ、6歳となったがまだまだ元気なカリブソングと駒はそろっていた。
イクノディクタスも元気いっぱいだった。4歳5月の京阪杯を勝ったが、その後12戦、白星から遠ざかった。しかし、5歳の5月にエメラルドS(オープン)を勝って1年ぶりの白星を挙げると、そこから金鯱賞、小倉記念を制して勢いづき、4番人気でオールカマーに臨んだ。
ゲートが開いた。まずはハシルショウグンが先頭に立つ。これを追い、ぴたりと追走するジョージモナーク。大井の2頭、的場文男と早田秀治の意地もぶつかり合ったか。ペースはよどみなく流れた。

この2頭がやり合う映像が映し出されると、その日に筆者がいたウインズ後楽園では大きなどよめきが起こった。
4コーナーを迎えても大井2頭のつば競り合いは続いていた。ただ、2頭とも疲れていた。2頭の間に空間ができる。インの3番手でチャンスをうかがっていたイクノディクタス。好機を逃さず隙間に飛び込んだ。
カーブを曲がり切り、態勢が整うのを待って追い出す村本善之騎手(引退)。あっという間にイクノディクタスが先頭だ。馬群から抜け出して迫るサクラヤマトオー。外からはツルマイナスが強襲。だが、2馬身半差をつけ、イクノディクタスが悠々と押し切った。
インを突いたり、イン2頭目をさばくのは、勝利への常道だ。だが、ここまできれいに、スムーズに、馬に負担をかけることなくインからさばく競馬は、あまり見たことがない。
勝利インタビューで村本騎手は「うまく馬群がバラけていたのでインコースでも大丈夫と判断した。終始、(人気の)ヌエボトウショウは視界に入っていたが、4コーナーでの脚色はこちらの方が良かったから、これは勝てると思いながら乗っていた」と語った。
こういうことだろう。前の2頭や周囲の馬たちの動き、脚さばきを見て、車間距離ならぬ“馬間距離”を計っていた。その結果、インをさばくことを決めた、ということだ。
騎手人生でフェアプレー賞を13度獲得し、「これが僕の勲章だ」と語っていた村本騎手。名手の騎乗の深みがにじみ出たようなオールカマーでの快騎乗だった。
そして、この稿を書きながら気がついた。イクノディクタスは生涯に51戦し、さほど長い休養を取ることもなく6歳秋まで走り続け「鉄の女」と呼ばれたが、その陰には村本騎手の、馬に負担をかけない騎乗が大きく寄与していたのではないか。
村本騎手は前述したエメラルドS勝ちから19戦連続で手綱を取るなど、合計31戦、イクノディクタスに騎乗した。故障もなく、息長く現役でいられたのは関係者の努力に加え、村本騎手の、馬のことを第一に考えた騎乗のたまものだろう。
イクノディクタスは19年2月6日、けい養先の牧場で天に召された。32歳での大往生。鉄の女は、さすが長生きだった。