今回も思い出に残るスプリンターズステークスと、その優勝馬を紹介したい。07年の勝ち馬アストンマーチャンである。
04年生まれだからウオッカ、ダイワスカーレット世代。石坂正厩舎に所属し、2歳夏の小倉でデビュー。小倉2歳Sを勝ち、勢いに乗ってファンタジーSも制覇。阪神ジュベナイルフィリーズはウオッカとの首差の勝負で2着に敗れたが、フィリーズレビューでは2馬身半差の完勝を収め、早くから豊かなスピードを見せつけた。
桜花賞は7着、北九州記念で6着に敗れた後、臨んだのがスプリンターズSだった。

鞍上に指名されたのは中舘英二騎手(現調教師)だった。石坂師は「それまでアストンマーチャンに乗っていた騎手、全員に断られたから」と説明したが、それは同師一流の照れ隠しではないかと推察する。それまで自厩舎の馬に何度も乗ってもらった中舘騎手が、きっとアストンマーチャンにフィットすると直感しての指名だったはずだ。
栗東へと足を運び、アストンマーチャンの性格などを把握して迎えたレース当日。アストンマーチャンは果敢に逃げた。ローエングリンがロケットスタートを切ったが、中舘騎手は迷うことなくアストンマーチャンを促し、先頭を奪った。
美しい逃げっぷりだった。アストンマーチャンの馬上で1メートル52の中舘騎手が背中を丸めている姿はもの凄く自然で、人も馬もストレスなく推進していることが目に見えて分かった。200メートルも進まないうちに、これはアストンマーチャンが逃げ切るな、と予感した。
4馬身ほどの差をつけて4角を回る。この日は雨に祟られ不良馬場だったが、気持ちよさそうに走るアストンマーチャンに誰も迫ることができない。ゴール前、ようやくサンアディユ、アイルラヴァゲイン、キングストレイルが突っ込んできたが、4分の3馬身差、アストンマーチャンが押し切っていた。中舘騎手は右手を強く握りしめ、喜びを表現した。
「GⅠを勝つことは、もうないんじゃないかと思っていた。すごくうれしいです」。お立ち台で中舘騎手はそう話した。94年、ヒシアマゾンで勝ったエリザベス女王杯以来、13年ぶりのGⅠ制覇だった。
残念ながら、これがアストンマーチャン、最後の輝きだった。燃え尽き症候群にでも陥ったかのようにスワンS14着、シルクロードS10着と大敗を重ねた。08年春には原因不明のX大腸炎に冒され、その加療中に急性心不全で早世した。さっそうと競馬ファンの前に現れた快速女王は、あっという間に天へと走り去ってしまった。
その後のある年の夏、札幌競馬場。調教を終えた中舘騎手が「最近、アストンマーチャンのお墓参りに行った」と教えてくれて、しばらくアストンマーチャン談議となった。彼女が持っていた豊かなスピード、勝負根性、GⅠ制覇の喜び、別れの悲しみ…。いろんなものをくれたと中舘騎手は教えてくれた。
この機会にと、長年、抱いてきた疑問を中舘騎手にぶつけてみた。ローカル競馬をずっと大事にしてきた中舘騎手だが、中央場所にもっと乗れば、もっとGⅠ制覇のチャンスは広がる。なぜ、ローカルにこだわるのですか?
中舘騎手の答えはこうだった。ローカルには自分の騎乗を待っている馬、人がいる。そういう期待に応えるのが自分の役目。自分がGⅠで勝つことより、そっちの方が優先されるのは当然だと。取材ノートにメモしていなかったので、正確な再現ではないかもしれないが、こんな意味合いだった。
アストンマーチャンは子を残すことができなかったが、全妹ジャジャマーチャンは未出走から繁殖牝馬となり、トゥラヴェスーラ(23年高松宮記念3着)を出した。快速牝馬は天国から近親たちの走りを見守り、笑顔を浮かべていることだろう。