厩舎へとやってきたスリーロールスに高い可能性を感じた杉山晴紀調教助手(当時)。08年10月、京都での新馬戦も8番人気ながら期待を持って見守っていた。結果は4着。勝ったのはアンライバルド、2着はリーチザクラウン、3着ブエナビスタ。のちに「伝説の新馬戦」といわれる一戦だった。
11月に未勝利戦を勝ったが、500万(現1勝クラス)では足踏みが続いた。年が明けて09年春。ようやくスリーロールスに実が入ってきた。
5月3日、ついに500万を突破。2着はのちにGⅢを3勝するナリタクリスタルだった。
ここで杉山助手は、ある思いを指揮官や同僚に打ち明ける。「スリーロールスを菊花賞に出しましょう」。指揮官もスタッフも笑顔で了承し、厩舎は一丸となった。「新プロジェクトX」のような光景が目に浮かぶ。そして、実際に杉山助手を中心としたプロジェクトがスタートした。

まず、スリーロールスは北海道へと放牧に出た。2勝目を挙げ、ようやく同期相手に一歩、前に出たところ。本来なら重賞に出したい。だが、馬体の成長を促すことを最優先した。「秋になって腰に力がつけば大きい仕事がきっとできる」。杉山助手は自らの信念に従った。
しかし、単に成長待ちをしていたわけではない。菊花賞から逆算して、スケジュールを組んだ。
8月1日に帰厩。当時でも、この時季の栗東は暑い。そこでミストファン(水分を噴霧する扇風機)を購入、スリーロールスの馬房に据えた。
休み明け初戦は新潟へ。菊花賞を考えると、小回りの小倉には魅力を感じなかった。休み明けで10キロ増の馬体。新潟・弥彦特別は5着に敗れたが、1度使って研ぎ澄まされ、続く阪神の野分特別は6キロ減で快勝。菊花賞の“抽選待ち”までこぎ着けた。
叩き2戦目での白星もシナリオ通り。杉山助手はこの時、筆者の取材に「秋を迎えて思った通りに成長した。乗っていても腰がパンとしたことが分かる。予定通り、菊花賞でピークを迎えられることに胸を張りたい」と答えた。
そして「ダンスインザダークの子で菊花賞へと向かう。意識はしているし、不思議だな、とも思う」と付け加えた。
結果は皆さん、ご存じの通りだ。1枠1番からスタートしたスリーロールスは浜中俊騎手の騎乗で好位を追走。直線ではリーチザクラウンとヤマニンウイスカーの間を割って前に出た。父ダンスインザダークを思い出させる闘志ある走り。若き番頭が、運命に導かれるように描いたシナリオは、これ以上ない大団円で完結した。
直線で抜け出すスリーロールスを目の前で見ながら、筆者は半ば呆然としていた。若き調教助手が語った、予言のような未来が今、目の前で現実となって繰り広げられている。杉山助手、恐るべし。すごい男だと思った。
この男に輝かしい未来あり。その予感は、ほどなく的中する。若くして調教師試験に合格し、あっという間に3冠牝馬を送り出し、世界を相手にして戦う、国内トップクラスの調教師になってしまった。
現在の活躍ぶりは、もちろん杉山氏自身の努力によるものが大だが、武宏平師や、周囲のスタッフの理解が大きかったこともあるのではないか。この稿を書いていて、それを痛感した。若い才能の芽をつぶすことなく後押しして伸ばした。その包容力、器の大きさがなければ、弟子によるデアリングタクトの活躍はなかった、かもしれない。
杉山厩舎の厩舎服は武宏平厩舎のカラーを引き継いでいる。今も師匠への感謝を忘れていないのだ。