01年エリザベス女王杯、優勝トゥザヴィクトリー。まだ若かった筆者に大きな影響を与えた一戦である。レースでの強さ、衝撃だけではない。物事に対し、どう発想するか。そして、どう考え、どう動くか。その判断の積み重ねが人生を変えるのだと思い至った。
テーマは「常識」だった。常識に従った方がいいのか。少しでも疑問が湧けば、捨てた方がいいのか。武豊騎手は「常識」をファンの前で軽々と飛び越えてみせた。
エリザベス女王杯に臨む前。トゥザヴィクトリーの前走はドバイワールドカップ。しかも2着だった。
同レースといえば、11年にヴィクトワールピサが勝ち(オールウェザー)、ダートの舞台でも23年にウシュバテソーロが制した。今は決して手が届かないレースではない。

だが、01年当時のドバイワールドカップといえば、それはそれは高い壁だった。逃げて、粘って、懸命につかんだ2着。日本調教馬による同レース初めての連対で「快挙」と報じられた。
そんな大舞台で逃げて2着だった馬の次走。さて、どう乗るか。大部分は「今度も逃げる」と言うはずだ。だが、武豊騎手は違った。「勝つには後ろから」と結論づけた。
トゥザヴィクトリーは7枠13番からのスタート。行く気は全くなく、外から前を取りに行く馬たちを悠々と行かせ、自分は馬群から離れた外を進んだ。馬がムキにならないよう、気を配ってのコース取り。10番手付近に陣取り、先行勢を高みの見物と決め込んだ。
向正面。ヤマカツスズランとタイキポーラが、はるか前方へ。2頭でやり合う形でペースが上がり、11秒台を2度も道中で刻んで1000メートル通過は58秒5。厳しい流れとなった。逃げなかったことでトゥザヴィクトリーは激流に巻き込まれることを未然に回避できた。
3角を過ぎての下り。前を行く馬たちがスピードを失い、後方勢が急速に接近する。直線を迎え、いよいよ勝負の時が来た。
武豊騎手、まずはティコティコタックに馬体を併せて闘志を引き出した。これを振り切ると、続けざまに桜花賞、秋華賞の2冠馬テイエムオーシャンと馬体を併せた。
油断すると気を抜くところがあるトゥザヴィクトリー。だが、強豪と立て続けに馬体を併せられては、そんな余裕はない。テイエムオーシャンと叩き合うところに息を吹き返したティコティコタックが迫る。大外からはローズバドが飛んできた。大混戦の末、ゴール前では武豊・トゥザヴィクトリーが鼻差、最先着を果たしていた。
「今日はちょっと違うレースができたね」。会見でそう語った武豊騎手。筆者にはよく分かった。「常識」を横に置き、自らの信念に従って勝利をつかんだ。発想と勇気と決断と騎乗技術、全てがかみ合った。パーフェクトな勝利だ。
「豊さん、この舞台で逃げないという決断をしたことが驚きです」。興奮気味に話しかけた自分に武豊騎手は“優勝への思考過程”を丁寧に教えてくれた。
メンバーを見て、熟考した結果、「必ず前が速くなる」と結論づけたという。馬の特徴や騎手の性格を考え抜いた結果だった。
ライバル14騎手は弟・幸四郎騎手を筆頭に12人が関西。関東から来ているのは同期・蛯名正義騎手と、仲のいい横山典弘騎手の2人。14人全員の性格、今回取るであろう戦法を知り抜いていた。予想通り、ペースは速くなり、後方にいたトゥザヴィクトリーには、おあつらえ向きとなった。
筆者はこの優勝を「神騎乗」と記したが、厳密にいえば正しい表現ではない。武豊騎手はこれまでの経験、知識をフルに生かし、流れを推測。勝てる戦法を模索した。その結果、得た答えが「追い込み」。常識では「逃げ」であっても、今回、思考した答えを優先すべきであり、武豊騎手は、そこに迷いはなかったと教えてくれた。騎乗の前段階の「神思考、神決断」が重要だったのだ。
胸を張っていい優勝だが、こういう時こそ控えめなのが武豊騎手。「今まで失敗というか、僕が御し切れないレースが多かった。やっとGⅠをプレゼントできたよ」
だが、いかに凄い騎乗だったかを別の騎手が横から教えてくれた。「この1、2着は騎手の腕の差。やっぱり武豊だよ」。2着ローズバドの横山典弘騎手だった。






