現在、「馬の博物館」のホームページにて、根岸(横浜)競馬場の歴史をテーマとした、やまさき拓味先生の漫画「優駿の門ROOTS(ルーツ)」が連載されている。これが面白くて仕方ない。
まだ連載の途中で、漫画の中では根岸競馬場でレースは行われていないが、江戸末期の横浜の風景、黎明期の競馬とはどんなものだったのかを生き生きと描いている。
筆者は昔の競馬に非常に興味があり、昔の日本の風景も好きなので、ともに漫画で描かれるとバシッとイメージが湧く。やまさき先生に感謝したい。
ということで、すっかり感化されて横浜競馬場跡を久しぶりに訪ねた。以前から定期的に通っていた「馬の博物館」は現在休館中(2029年再開予定)。それでも新たな発見があるかもしれない。


まずは横浜市営バス「103系統」の終点、根岸台を目指す。横浜駅東口が起点だが、筆者は京急の日ノ出町駅にてバスへと乗り換える。15分ほどで根岸台に到着だ。
実は根岸台まで来たのは初めて。これまではバスを途中の「滝の上」で下り、馬の博物館へと向かっていたからだ。早速、発見があった。終点・根岸台からは、もう旧競馬場の「一等馬見所」、いわゆるスタンド跡が見えるのだ。
この一等馬見所。根岸森林公園内を突っ切って目の前まで行くことはできる(内部見学は不可)。だが、「写真撮影禁止」の掲示があり、ずっと撮影できないでいた。ところが、根岸台バス停付近からなら禁止の掲示もなく堂々と撮影できる。旧横浜競馬場のコースでいえばゴールまで残り100メートル付近からスタンドを撮影した。
堂々たる、その威容。絡まるツタが歴史を物語る。多くの先人たちが、このスタンドから声を張り上げたと思うと感慨を禁じ得ない。
来た道を戻る。左側は、かつてのコースだ。右回りコースを逆に回って4角から3角を目指していることになる。微妙なカーブが最高。幅員もそれなりにある。
すると、第2の発見が。4コーナー付近に「馬場観世音」があった。三差路の交差点に鎮座し、堂々たるたたずまいである。「明治三十三年建立」と歴史はかなり古いが、裏にある出資者たちの名前はそれなりに読むことができる。鈴木文造、池田増次郎、海老原寅吉、持田三次郎、上村幸吉…。ゴール前で何度も声を張り上げた地元横浜の名士たちなのだろう。「どうだい、令和も競馬は盛り上がっているかい?」。文造さんや増次郎さんは、今の僕らにそんな声をかけてくれるだろうか。明治の先人たちへの感謝の念が湧く。
ちなみに「馬場観世音」の文字を揮毫したのは富岡敬明とある。調べたら、西南戦争を経験し、熊本県知事も務めた人物。明治33年頃は、山梨県甲府で漢詩人として活躍していたとのこと。当時の、いわゆるトップ文化人だったのだろう。


また、しばらく歩く。すると、競馬とは無関係であるが紹介したいレストランを見つけた。「ドルフィン」である。
松任谷由実(当時荒井由実)が自身の曲「海を見ていた午後」で「山手のドルフィン」「ソーダ水の中を 貨物船が通る」と歌い、ユーミンファンがこぞって訪れたという伝説のレストランだ。
筆者もドルフィンの存在、かつてのフィーバー、ともに知ってはいたが、根岸競馬場跡とこんなに近いとは思わなかった。さすが、「中央フリーウェイ」で「右に見える競馬場」と歌ったユーミン。競馬とは縁が深い。
ドルフィンから歩くこと10分。工事中の馬の博物館を横目に見ながら、旧コースを横切り、旧内馬場、つまり根岸森林公園へ。今回のゴールだ。
すり鉢状になっている旧競馬場。内馬場には何があったのかと今回、調べたら何とゴルフコースだった。1906年(明39)、日本で3番目、関東初のゴルフコースとして完成。9ホール、2473ヤード、パー33というから立派なものだった。
根岸の競馬場は1943年(昭18)に閉場となった。眺望が良すぎることがアダとなり、作戦上、必要な施設として海軍省に接収されたとのことだ。

今回、根岸森林公園からの帰り道は、ドルフィンを横目に見ながら崖を細~い階段で下り、JR根岸駅へと向かった。この階段のきついこと。下りできついのだから、上りは半端ないだろう。到底、おけら街道にはなり得ない、と思い、競馬場復活の妄想すら断念した次第である。






