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2025年12月17日 (水)

 フジキセキの大一番の前に、父サンデーサイレンスの逸話を紹介したい。フジキセキはサンデーサイレンスの初年度産駒である。

 サンデーサイレンスは生まれた当初、脚ばかりひょろ長く、しかも後肢の飛節が湾曲して、周囲で彼の将来に期待する者は1人もいなかったという。

95年弥生賞を制したフジキセキ(左)。これが現役最終戦となった
©スポーツニッポン新聞社

 しかも生まれて8カ月が過ぎた頃、ウイルス性の下痢を起こした。まさに生死の境をさまよったが、大量の点滴を投与した末に一命を取り留めたという。体調が戻り切るまでに数カ月を要したが、何とかサンデーサイレンスは生き残った。

 生命の危機はもう一度、訪れた。デビュー前。カリフォルニア州からケンタッキーの牧場に戻る際、馬運車の運転手が心臓まひを起こし、横転する事故に見舞われたのだ。

 積まれた馬の中に死ぬ馬も出たほどの事故だったが、サンデーサイレンスは奇跡的に一命を取り留め、競走能力も失わなかった。オクラホマの動物病院に2週間入院し、ケンタッキーへと戻った時は真っすぐ歩くのも厳しかったが、そこから2週間したら、何事もなかったような状態に戻ったのだという。

 これらの逸話を聞いて、筆者が思い浮かべたのは日本ハムの新庄剛志監督である。

 新庄氏は子供の頃、8回も交通事故に遭ったという。何度も生命の危機に見舞われたが、そのたびに尋常ではない生命力で生き残った。これにより、新庄氏は“限界突破”の能力を身につけたのではないかと筆者は思っている。

 人間は普段、自分の心身を守るため、リミッターを設けているそうだ。だが、何かの拍子にリミッターを外せる人々が現れた。それらの人々が、常人には達することができない輝かしい実績を挙げてきた、という話がある。新庄氏が現役時に見せた尋常でないプレーの数々は全てリミッターを外した状態で成し遂げたものではないのか。筆者はそう考える。

 サンデーサイレンスも2度のアクシデントでリミッターが外れたのではないか。いや、ウマと人間を一緒にするなという声が出ることは分かる。だが、我々凡人には想像できない、偉大なレベルへと昇華した圧倒的な存在に、種を超えた共通点があっても何ら不思議はない。

 サンデーサイレンス論が長くなった。スタートを決めたフジキセキは3番手付近を進み、直線を向いて内からスパート。残り150メートルで先頭に立つと、しっかりと前へ。坂を上がって外からスキーキャプテンが迫ったが、首差退け、父サンデーサイレンスに初GⅠ制覇をプレゼントした。

 2着スキーキャプテン、3着コクトジュリアンは、ともに外国産馬。斉藤四方司オーナーが馬名に託した思い「外国産馬に負けるな」は、GⅠ初戦で早くも達成された。

 フジキセキは翌年春、弥生賞を完勝し、いよいよ3冠なるかと期待されたが、左前屈腱炎を発症し、ターフを去った。

 フジキセキはその後、カネヒキリ、キンシャサノキセキ、ダノンシャンティ、サダムパテック、ストレイトガール、イスラボニータなどを出し、種牡馬として大成功を収めた。カネヒキリが、父が引退に追い込まれた屈腱炎を治療によって克服し、GⅠ制覇へと返り咲いたことは以前に紹介した通りである。

鈴木正 (Tadashi Suzuki)

1969年(昭44)生まれ、東京都出身。93年スポニチ入社。96年から中央競馬担当。テイエムオペラオー、ディープインパクトなどの番記者を務める。BSイレブン競馬中継解説者。

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