ついに有馬記念ウイークである。
筆者にとって忘れられないグランプリといえば06年、ディープインパクトの引退レース。番記者として当時、この馬の魅力を全力で読者に伝えてきたつもりだが、その集大成といえる一戦だった。
あれから、もう20年近くが経過した。筆者に、このような執筆、発表する場があるうちに、ディープインパクトのラストレースについて記しておきたい。ドキュメント形式で追っていき、当時の雰囲気をつかんでもらえればありがたい。

【06年12月13日】1週前追い。池江敏行調教助手を背に、雨で重くなったウッドチップコースを6ハロン80秒1、1ハロン12秒6で悠々と駆け抜けた。
池江泰郎調教師は「今週でも競馬ができるくらい仕上がっているが、来週もビシッといくよ。悔いのないようにね」。記者会見では終始、笑顔。状態面に絶対の自信があることが伝わってきた。
【12月17日】日曜追い。池江助手を背に坂路からDウッドチップコースに入ってラスト13秒9。

筆者が差し入れた缶コーヒーをうまそうに飲み干すと「ジャパンカップの時とは雰囲気が雲泥の差。文句のつけようがない。競走馬として、ついに完成したんちゃうかな」。元々が強気なタイプの池江助手だが、ここまで言ったことはなかった。
【12月20日】最終追い。池江泰郎師自身が手綱を引いて、ディープインパクトは馬場入り。名伯楽の心に、いろいろな思いが駆け巡っているのだろうと、グッときたシーンだった。
そして武豊騎手がまたがり、単走で終われた。6ハロン79秒1~1ハロン12秒2。
気になることがあった。直線で手前(軸脚)を替えなかったのだ。少々、不安に思い、筆者は小声で武豊騎手に聞いた。「手前を替えませんでした。どう受け取ればいいですか?」「心配いらないよ。だってディープだよ」
何か、気持ちが一気にパッと晴れやかになった。前年の有馬記念。先行策に出たハーツクライの前に差し届かず2着に敗れたことが、どうしても頭から離れず、どこかにグランプリに対する漠然とした不安があった。主戦の自信に満ちた言葉は、それを一瞬にしてかき消す力があった。
大丈夫、ディープは勝つ。そう確信できた瞬間だった。
池江泰郎師の記者会見。開始予定時刻の15分も前から“場所取り”が始まり、好位置をキープした社は、そこから1歩も動かなかった。司会役のアナウンサーが「みんな、気が早いんじゃないの?」と苦笑いするほどだった。
池江泰郎師は、かみしめるようにディープインパクトへの思いを語った。「思う存分、最高の調教ができました。無駄な脂肪がなく、体つきもベスト。最後を飾ることはできると思います」

【12月22日】栗東での最後の調教。坂路で4ハロン76秒5を刻み、Dウッドチップコースを4ハロン57秒5で駆け抜けた。
動きを見届けた池江泰郎師は「いいなあ」と、ため息まじり。「これでゴーサインを出したらスピード違反になってしまう。うん、思い残しはないね」
池江助手は馬を下りると「はあー、終わったあ」。何事もなく大役を務め上げ、ホッとした様子だった。気持ちを乱さず、それでいて気合はたまっている。最高の雰囲気に見えましたと各社の番記者がそれぞれに感想を語る。池江助手は満足そうにうなずいた。「うん、最後の最後に素晴らしい調教ができた。すごくいい雰囲気で送り出せる。ホッとしたし、寂しいし、疲れたよ」
翌日、ディープインパクトは最後の決戦舞台、中山競馬場へと向かった。






