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2025年12月25日 (木)

 ディープインパクトのラストラン、06年有馬記念を振り返る。

 【12月23日】午前6時21分、栗東を後にして午後1時半、中山競馬場へと移動した。スポーツ紙だけでなく一般紙、テレビ局のカメラと驚くような人数が集まったが、ディープインパクトは堂々たるしぐさで馬運車を下り、市川明彦厩務員は余裕たっぷりに報道の前で馬を回した。

 【12月24日】いよいよ決戦の日。中山は冬晴れ。

左はディープインパクト、右はニュービギニング。貴重な兄弟ツーショット©スポーツニッポン新聞社

 【午後1時30分】6R・ホープフルS(当時オープン)を弟のニュービギニング(父アグネスタキオン)が大外から差し切った。これで2戦2勝。笑顔いっぱいに出張厩舎へと引き揚げてきた森助手に市川厩務員が「良かったなあ」と声をかける。

 【1時50分】最後のレースに向かう準備が全て整った。「行ってきます」。市川厩務員が周囲に声をかけ、ディープインパクトは装鞍所へ。最後の計測は馬体重438キロ。

 【2時37分】パドックに登場。市川厩務員は最後のお披露目を楽しむように時折、笑顔が見られた。馬はカメラのシャッター音にも動じず余裕しゃくしゃく。ダービーの頃とは段違いのパドックだ。ついに完成したのだなと、しみじみ感じた。

引退戦を異次元の強さで制したディープインパクト©スポーツニッポン新聞社

 【3時30分】2着ポップロックに3馬身差をつけて完勝。単勝120円。ラストランを見事に飾った。スウィフトカレントに乗って12着の横山典弘騎手は「天皇賞・春(リンカーンでディープインパクトの2着)の時、一瞬でも“よっしゃ”と思った自分がアホだった。こういう名馬と戦えたのはうれしいことだけど、もう戦うのはいいよ。これからは関東馬も強くならなければ。自分が乗って鍛えていくよ」

 【4時30分】芝コースで行われた引退式。すでに日はとっぷりと暮れていたが5万人が場内に残った。「みなさんの声援が本当にうれしかった。最後まで彼らしい走りでした」。武豊騎手が語りかけると大きな拍手が起きた。

 【5時40分】出張馬房へと戻ったディープインパクトとスタッフを番記者が拍手で迎えた。四肢の蹄鉄を西内荘装蹄師が丁寧に外す。「もう2度と蹄鉄を履かないと思うと寂しくて仕方ない」。接着装蹄を施すなどディープの爪には苦労したが、その分、技術の進歩もあった。「こんなスピードを持った馬、もう出会えないよ」。涙を流しながら蹄鉄を外し終えると、大事にカバンにしまった。

 【5時55分】池江敏行助手がメガネを外し、涙を拭った。「いやー、終わったね。これまでディープには我慢することばかり教えてきた。これからはのんびりと日々を楽しんでほしい」。心を鬼にして、厳しく接した日々を振り返った。

 市川厩務員も親心たっぷりに語った。「自分の子供のように思っていた。2年間、こんな僕に付き合ってくれてありがとう、という思いです」。しかし、感傷に浸る報道陣に待ったをかけるようにこう続けた。「でもね、ここからまた過酷な種牡馬としての競争が始まるんです。応援しなきゃね」

ディープインパクト引退式。ファンにお別れの挨拶をした©スポーツニッポン新聞社

 【12月25日、午前9時】有馬記念から一夜明け、テレビカメラ6台、報道陣50人が中山競馬場出張馬房に集結した。北海道へと旅立つディープインパクトを見送るためだ。

西内荘装蹄師の手によって丁寧に外された蹄鉄©スポーツニッポン新聞社

 有馬記念を終えた夜、池江泰郎調教師は目の前がブラックアウトしたように睡魔に引き込まれたと明かした。「ボーッとしてしまいました。ずっと緊張が続いていましたから」。いよいよ出発の準備が整った時、指揮官は両手を出し、番記者ひとりひとりと握手をかわした。「今までありがとう、ご苦労様でした」。番記者としての仕事は、この握手をもって終わった。ディープを追いかける日々は過酷だったが、いざ終わってしまうと寂しくて仕方なかった。

鈴木正 (Tadashi Suzuki)

1969年(昭44)生まれ、東京都出身。93年スポニチ入社。96年から中央競馬担当。テイエムオペラオー、ディープインパクトなどの番記者を務める。BSイレブン競馬中継解説者。

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