16日の当欄で、03年のフェブラリーS(優勝ゴールドアリュール)での武豊騎手がいかに凄かったかを書いたが、他にも“武豊伝説”をいろいろ思い出したので、忘れないうちに書き記しておきたい。
08年11月23日。京都競馬で武豊騎手は新馬戦で落馬し、右腕の尺骨々幹部を骨折した。
騎乗馬が3角で突然、右中手骨の開放骨折を発症。ロデオのように波打つ馬の背中から武豊騎手は投げ出され、前方に1回転しながら激しくダートに叩きつけられた。
固定したプレートと包帯の間からのぞく右手は紫色に変色して腫れ上がっていた。「年内は無理だろう」と話す関係者。筆者もそう思えた。

ところが、その1カ月後。武豊騎手がGⅠ(朝日杯フューチュリティステークス=ブレイクランアウト)で復帰するというではないか。発表した翌週、タイミング良く栗東出張。じっくりと話すことができた。
「骨折と分かった瞬間はガックリ来たよ。あー、ジャパンカップに乗れないか、って。でも、すぐに気持ちが切り替わった。やるべきことを頭で整理し終えてからは“どこで復帰できるかな”という気持ちになった」
第一声がこれである。何という前向きさ、気持ちの切り替えの早さだ。全国のビジネスマンの皆さん、参考にするべきですよ。
では、復帰に向けてどんなことをやったのか。「酸素カプセル、ハリ、特別な点滴…。点滴は結構、値が張るんだけど効くんだよね。あとは煮干しをかじって、夜はスパッと寝る。これだよ」
そう元気に話しつつもコーヒーカップを持つ手は左。馬に乗る際も右手をかばった。だが、馬に乗ってしまえば、いつもの流麗なフォームだった。
「リハビリもかなりやったよ。加圧式トレーニングはいいね。今後も続けようかな」。武豊騎手はこの時39歳。「ケアは大事ですよ。豊さんも来年、40ですから」と話した筆者に、名手はこう返してきた。「まだやで、まだ30代。しかし、僕は超人的なスピードでケガを治すとマスコミの皆さんは決めつけているからなあ。プレッシャーがかかったよ」
最後はジョークまじりではあるが、“自分の回復力は超人的”と思い込むことも実は大事なのではないか、とも思った。
「武豊騎手の超人的回復力に期待したい」などと筆者も無責任に書いてきた1人だが、それが武豊騎手の気持ちに張りをもたらしていたのであれば、うれしいことだと感じた次第である。
ちょっと真面目なネタになってしまったので、笑えるものも。まだ父の武邦彦調教師が現役だった頃。武豊騎手が「ちょっとオレ凄いかも」と言い出した。
ある日、武邦師が武豊騎手を呼び止めて、こう話したという。「豊、あのな、あの馬な、今度あのレースに使うから。前回はアレやったけど、今回はアレやわ」
普通なら「???」だが、そこは全てを理解し合う父子。武豊騎手は父がどの馬のことを話し、どのレースを使うか、今回はどんな調子なのかを瞬時に理解したという。
「全て“アレ”だもんね。でも分かっちゃうんだよ」。筆者は大爆笑したが、同時に父の発想を知り尽くす武豊騎手の凄みも感じていた。
武豊騎手と同学年の池江泰寿調教師から聞いた話と記憶する。トレセンの子弟は金勝(こんぜ)小に通い、月曜朝のクラスの話題はもっぱら、前週の競馬の結果についてだった。
で、当時小学生の武豊騎手が何度も熱く語っていたのが「中京競馬場における4コーナーでのさばき方について」。なんじゃそれは!「オヤジはインを突きがち、で、直線で詰まりがち」みたいなことを言っていたのだろうか。これ、完全な妄想です。
やっぱり武豊騎手は競馬界に欠かせない人だと、書きながら改めて思った次第。まだまだ元気に乗り続けてほしい。






