(鹿児島県曽於市)毎年11月第3日曜日
今年の五穀豊穣と来年の豊年満作を願って行われる伝統行事
住吉神社は、住吉山の中腹にあります。藩庁時代は、島津直轄の神社に列していました。島津家からは大切に扱われ、慶長5年(1600年)の島津党首や家臣達による奉納短冊116枚(市指定文化財)や、寛保2年(1742年)の神王面2面(市指定文化財)等の宝物も残されています。明治時代以降は郷社でしたが、昭和7年に県社に昇格しています。
その住吉神社では毎年11月の第3日曜日、『末吉の豊祭(ほうざい)』が行われ、伝統行事の流鏑馬が奉納されます。
末吉の流鏑馬の起源は不明ですが、薩摩藩が江戸時代後期に編纂した『三国名勝図会』に記録がみられます。現代では、昭和56年に鹿児島県無形民俗文化財に認定されました。
当日は午後1時から神事が始まります。一行は大木に囲まれた住吉神社の長い石段を上り、神殿に向かいます。神殿では奉幣(ほうへい)の儀が行われます。奉幣とは「神に幣帛(へいはく)をささげること」です。幣帛とは、「神前に供えるもの」で、射手が怪我をしないように、との儀式です。
神事が終わると馬場入り(馬場末)となります。御奉行は「これから流鏑馬を始めませー」と声を掛け、射手と付き人が「おぉー」と応え、馬場元に向かい流鏑馬が始まります。最初は両手を広げて、手放しで走る『空走り』が行われます。
次に3人の射手が参道を鳥居から神社へ向かって約300メートル馬を馳せ、途中にある3ヵ所の的を射ます。これを3回繰り返し、矢が的に当たるほど、豊作になる、といわれています。
また、当たり的を持ち帰って家をふけば栄える、当たり矢を家に飾っておけば、鬼や疫病神などに襲われるのを防ぐ魔除けになる、といわれています。
住吉神社
鹿児島県曽於市末吉町二之方3995-1
アクセス
車◉都城志布志道路 末吉ICから10分
電車◉日豊本線 財部駅よりタクシーで20分
バス◉南之郷線 住吉神社前下車
住吉神社の起源
住吉山の中腹に鎮座する住吉神社。祭神は、底筒之男命(そこつつのお)・中筒之男命(なかつつのお)・表筒之男命(うわつつのお)のいわゆる住吉三神です。藩庁時代は島津直轄の神社に列しており、島津家から大切に扱われました。明治時代以降は郷社でしたが、昭和7年に県社に昇格しています。
取材後記…
住吉神社には神王面と呼ばれる2つの面があります。これは江戸の面打師・出目栄満(でめよしみつ)の門人、出目満如(でめまんにょ)が寛保2年(1742年)に作ったものです。この神王面は末吉歴史民俗資料館にて常設展示されていますが、流鏑馬の時には拝殿内に掛けられます。神王面は無事、神事が斎行されるように、と見守っているに違いありません。文/邦馬
取材協力・文章/写真提供
一般社団法人 曽於市観光協会
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