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2024年12月07日 (日)

2012年 香港スプリント©スポーツニッポン新聞社

ロードカナロア
Lord Kanaloa

牡、2008年3月11日生まれ
父キングカメハメハ
母レディブラッサム
母父ストームキャット
馬主/ロードホースクラブ
調教師/安田隆行
生産牧場/ケイアイファーム
通算成績/19戦13勝

 ロードカナロアは「短距離王国」といわれる香港で日本馬初のG1制覇を果たした。

 2012年12月9日、ロードカナロアは岩田康誠騎手を背に香港スプリントに出走した。香港スプリントは1999年に創設された。00年にはG3、01年にはG2へと昇格し、02年からG1になった。当初は直線1000㍍で行われていたが、06年からはコーナーのある1200㍍へと変わった。

 日本馬はG2だった01年の初参戦から苦戦した。GⅠタイトルを持つ快速自慢を含め、のべ12頭が挑戦したが、地元勢の強さの前に跳ね返され続けた。13頭目の挑戦となったロードカナロアは好スタートを切ると、2、3番手の好位置を取り、リズムよく進んだ。最後の直線で岩田康誠騎手のアクションに反応すると、逃げ馬を競り落とし、後続の追撃も振り切り、先頭でゴールした。終わってみれば、2馬身半差をつける危なげない完勝だった。

 08年に北海道のケイアイファームで誕生したロードカナロアは父キングカメハメハ、母レディブラッサムという血統だ。レディブラッサムの母サラトガデューは米国のG1で2勝した実績を持っていた。ケイアイファームは生まれたばかりのロードカナロアをセレクトセールに上場した。セレクトセールは国内でもっともステータスの高いサラブレッドの競り市だ。ところが、のちのロードカナロアである「レディブラッサムの2008」に入札の声がかかることはなかった。この業界でいう「主取り」(ぬしどり)。買い手はつかなかった。レディブラッサムの2008はクラブ法人ロードホースクラブの所有馬となり、ロードカナロアという馬名を与えられた。

 栗東の安田隆行厩舎に入ったロードカナロアは2歳の12月に小倉競馬場でデビューした。スタートから先頭に立ち、芝1200㍍を逃げ切り勝ち。2着に6馬身もの差をつけた。

 幸先のよい競走生活を歩み始めたロードカナロアだったが、2戦目、3戦目は勝てずに終わった。距離1600㍍、1400㍍ではゴール前でスタミナ切れを起こした。安田隆行調教師はその結果を見て、ロードカナロアを1200㍍専門で走らせる道を選んだ。すると5連勝。京阪杯、シルクロードSと重賞タイトルも手にした。

2012年 スプリンターズステークス©スポーツニッポン新聞社

初めて挑んだGⅠは4歳3月の高松宮記念だった。結果は3着。優勝したのは同じ安田厩舎のカレンチャンだった。9月、待望のGⅠタイトルを手にする。中山競馬場で行われたスプリンターズSだ。芝1200㍍1分6秒7のレースレコードをマークして優勝した。2着は高松宮記念で後塵を拝したカレンチャンだった。日本馬初の香港スプリント制覇は、このスプリンターズS優勝の2カ月後だった。上昇気流に乗ったところで一気に海外G1制覇にたどり着いた。

13年、ロードカナロアは4つのGⅠタイトルを上乗せした。高松宮記念、安田記念、スプリンターズS、そして香港スプリント。引退レースとなった香港スプリントでは2着に5馬身差をつける圧勝劇を演じた。2着との着差5馬身というのは、今も香港スプリントの最大着差として残る偉大な記録である。

有吉正徳

1957年、福岡県出身。82年に東京中日スポーツで競馬取材をスタート。92年に朝日新聞に移籍後も中央競馬を中心に競馬を担当する。40年あまりの取材で三冠馬誕生の場面に6度立ち会った。著書に「2133日間のオグリキャップ」「第5コーナー~競馬トリビア集」

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