UMATO

2024年12月26日 (木)

1988年 宝塚記念©スポーツニッポン新聞社

タマモクロス
Tamamo Cross

牡、1984年5月23日生まれ
父シービークロス
母グリーンシヤトー
母父シヤトーゲイ
馬主/タマモ(株)
調教師/小原伊佐美
生産牧場/錦野牧場
通算成績/18戦9勝

 かつて天皇賞で優勝すると、再び天皇賞に出走することはできなかった。俗にいう「勝ち抜け制」である。この規則が撤廃されたのは1981年だった。しかし天皇賞2勝目を挙げる馬は、なかなか誕生しなかった。その記録を初めて達成したのがタマモクロスだった。

 記念すべき勝利はオグリキャップとの初対戦でマークされた。

 88年10月30日、東京競馬場で行われた第98回天皇賞・秋。前年10月の一般レースから、この年6月の宝塚記念まで、天皇賞・春を含め7連勝中だったタマモクロスと、1月に地方・笠松から中央競馬に移籍後、重賞ばかり6連勝していたオグリキャップの初顔合わせ。どちらかの連勝が途切れることになる「芦毛対決」は競馬ファン必見のレースと言われた。

 南井克巳騎手が騎乗するタマモクロスは9番ゲートからのスタート。河内洋騎手のオグリキャップは1番枠に入った。オッズ2.6倍の2番人気となったタマモクロスが勢いよくゲートを飛び出した。いつもは後方からじりっと進むタマモクロスが、この日は違った。逃げるレジェンドテイオーを追って、向こう正面では早くも2番手にとりついた。

 最後の直線。残り250㍍付近でレジェンドテイオーをかわし、タマモクロスが先頭に立つ。外からオグリキャップが忍び寄る。しかしタマモクロスの脚色は衰えない。2着のオグリキャップに1馬身4分の1差をつけ、タマモクロスが先頭でゴールした。レジェンドテイオーが3着に逃げ粘った。2着のオグリキャップとは3馬身の差があった。レースは戦前の予想通り、2頭の「芦毛対決」で終わった。

 タマモクロスとオグリキャップの対決は、その後、ジャパンカップ、有馬記念と続いた。

ジャパンカップではタマモクロスが2着、オグリキャップが3着となり、有馬記念ではオグリキャップが優勝、引退戦のタマモクロスが2着という結果になった。3度の直接対決はタマモクロスが2度先着して、先輩の貫録を見せたかっこうだ。

1988年 天皇賞・秋©スポーツニッポン新聞社

 タマモクロスは「たたき上げ」という表現がぴったりする名馬だ。87年3月にデビュー。3戦目で初白星を挙げた。ところが4戦目で落馬に巻き込まれた。このレースで精神的なダメージも受けた。恐怖心から馬群に突っ込んでいくことができなくなったという。また初勝利がダート戦だったことから、落馬した後もダート戦を走っていたため本領を発揮できなかった。

 87年10月、タマモクロスに転機が訪れる。京都競馬場の芝2200㍍で行われた一般レースに出走すると、2着に7馬身もの差をつけて快勝した。勝ちタイムの2分16秒2は、同じ日に行われた菊花賞トライアルの京都新聞杯を0秒1上回る優秀なものだった。このレースを皮切りに前述の天皇賞・秋まで8連勝という記録を作った。下級条件から史上初の天皇賞2勝馬へ、一直線に駆け上がった。

 タマモクロスが天皇賞2勝目を挙げた2週間後、1歳年下の妹ミヤマポピーがエリザベス女王杯を制した。兄妹の相次ぐGⅠ制覇。しかし喜びに包まれるはずの生まれ故郷の牧場はすでに倒産してなくなっていた。

有吉正徳

1957年、福岡県出身。82年に東京中日スポーツで競馬取材をスタート。92年に朝日新聞に移籍後も中央競馬を中心に競馬を担当する。40年あまりの取材で三冠馬誕生の場面に6度立ち会った。著書に「2133日間のオグリキャップ」「第5コーナー~競馬トリビア集」

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