今年春に行われたGⅠで深く心に残ったのが安田記念だった。制したのは香港のロマンチックウォリアー。勝ったジェームズ・マクドナルド騎手は日本流のウイニングランをして、スタンドに向けて何度もガッツポーズ。喜びが大きかったことがこちらにも伝わった。
関係者にとって、レースを勝つことは、どの競馬場であろうと大きな喜びだろうが、ことにアウェイでの勝利は格別に違いない。異国で祝福される。それは本当に名誉であり、心が大きく動くはずだ。
筆者がよく覚えているのは2001年11月25日の東京競馬場。メインのジャパンCの1つ前のレース。国際競走のキャピタルSに出走したドイツ調教馬のプラウドウイングスが武豊騎手を背に見事に勝ち切り、検量室前に戻ってきたシーンだ。
ドイツ関係者がそれこそ小躍りしながら喜び、抱き合い、武豊騎手に握手を求め、歓喜していた。涙を流していた女性もいたと記憶する。「異国でレースを勝つことは、こんなにもうれしいことなのか」。心が温かくなった。
キャピタルSの1着賞金は当時2400万円。現在の世界的ビッグレースの金額から見れば少ないかもしれないが、当時の欧州のレース賞金を思えば悪くない額。秋の国際競走といえばジャパンCばかりがクローズアップされるが、キャピタルSのようなレースこそ、もっと外国馬に狙ってほしい、と思ったことを覚えている。
この時のキャピタルSも桜花賞3着馬ダイワルージュ、長期休養明けとはいえ天皇賞・春2着があるラスカルスズカなど、メンバーはオープンにしてはハイレベル。それらを蹴散らし、ドイツからやってきた5歳牝馬が躍動するシーンは見ていてドキドキした。異国から来た知らない馬が1頭いるだけで、何だか五輪の陸上競技の決勝でも見ているようなワクワク感があった。
ところで今回、改めてプラウドウイングスの戦績を調べたところ、キャピタルSの2走前に、フランスGⅠジャック・ル・マロワ賞を走って1位入線も失格となっていた。すっかり忘れていた。ジャック・ル・マロワ賞といえば1998年にタイキシャトルが制した伝統の一戦。そこを曲がりなりにも先頭でゴールしていたのだから実力はなかなかのものだったということだ。
その後、プラウドウイングスは再び来日して社台ファームで繁殖入りした。オープンでバリバリ活躍するような子は出なかったが、いつか子孫から重賞を勝つような馬が出てほしい。その時は血統表の「プラウドウイングス」の文字を眺めながら、東京競馬場の検量室前で大喜びしていた、あの時の関係者の姿を思い浮かべたい。