このサイト「UMATO」内で毎日連載している4コマ漫画「今日も本迷」(ツジイマコト先生作)の第46話を読んで、かつての取材シーンがありありとよみがえった。
その「今日も本迷」では、主役のバラディーが、競馬場の「おいしい草のありか」を熱心に研究し、厩務員さんを呆れさせる、というオチなのだが、実際に、おいしい草のありかが競走馬の成長にとって重要だった時代があった。
頻繁に栗東トレセンに通っていた頃。筆者は中尾謙太郎師(04年定年引退)に昔の競馬の話を聞く時間を大事にしていた。
なぜ同氏なのかといえば、やっぱりシンザンである。武田文吾厩舎での厩務員時代、あの5冠馬シンザンを担当した。
本当はオンワードセカンドという馬を担当するはずが、シンザンの担当を嫌がってオンワードセカンドの担当を希望した先輩厩務員の、ある種のわがままによって、シンザンのお鉢が回ってきたこと。3歳夏、猛暑の中、馬房に氷柱を置いて懸命に涼を取ったこと。シンザンとの出会いによって調教師となろうという決意が生まれたこと。日本競馬の歴史において重要なストーリーを直接、耳にできた。
で、「今日も本迷」である。中尾氏から聞いた多くの話の中で、心に刺さったのは、牧草にまつわる話だった。
シンザンを担当していた頃、少しでも質のいい草を食べさせたいと考えた中尾厩務員は、淀川の川べりを歩き、いい草を探すのが日課となっていた。当時、馬に与える草を担当者が近隣へ刈りに行く、というのは日常的に行われていたそうだ。
当然、質のいい草は取り合いになる。まだ若手だった中尾氏は先輩に遠慮して、なるべく遠いところで草を探した。淀川を下りに下って、最後は高槻のあたりで草を刈っていたそうだ。
こんなシーンが頭に浮かんだ。真っ赤な夕焼けに包まれた淀川の川べり。そこで笑顔を浮かべながら青草を刈る若き中尾厩務員。映画「ALWAYS 三丁目の夕日」の競馬版、というイメージだ。シンザンが望外の出世を果たした裏には、厩務員のこんな努力があったのか、と心動かされた。
前述したように、中尾氏はシンザンとの出会いによって調教師を志した。同氏は厩務員出身で調教師となった初めての人である。当時の厩務員は非常に身分が低く、騎手・調教師とは完全に一線を引かれていた。「受かるわけない」。誰もがそう言って、中尾氏の挑戦をあざ笑ったという。
だが、中尾氏は諦めなかった。8度目の試験。ついに新たな歴史を切り開いて合格した。記者の前では、いつも笑顔を絶やさない同氏だが、心の中は、やけどしそうなくらいに燃えているファイターだった。
昔の競馬を知る人は年を追うごとに少なくなっていく。ベテラン調教師に昔の話を聞く記者は今、いるのだろうか。