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2024年11月09日 (土)

1997年 朝日杯3歳S©スポーツニッポン新聞社

グラスワンダー
Grass Wonder

牡、1995年2月18日生まれ
父シルヴァーホーク
母アメリフローラ
母父ダンジグ
馬主/半沢 有限会社
調教師/尾形充弘
生産牧場/米・フィリップスレーシング
通算成績/15戦9勝

 グラスワンダーは「天才少年」だった。

 1997年9月13日、中山競馬場の芝1800㍍戦でデビュー。2着馬に3馬身差をつけて快勝する。2戦目は10月12日に東京競馬場の芝1400㍍で争われたアイビーS。デビュー戦より相手は強くなっているはずなのに2着に5馬身差をつけて2連勝した。

 3戦目は重賞の京成杯3歳S。1990年代は馬の年齢の数え方が現在とは違い、数え年だった。レース名は「3歳S」となっているが現代の2歳馬のレースである。グラスワンダーはオッズ1.1倍という圧倒的な支持を受けてレースに臨み、2着馬に6馬身差をつけて快勝した。2歳での最終戦は朝日杯3歳S。中山競馬場の芝1600㍍が舞台だった。ライバル14頭を子ども扱いにし、従来の記録を0秒4更新する1分33秒6のレコードタイムで優勝した。この優勝タイムは同じ日に行われた古馬3勝クラスのタイムを0秒7も上回っていた。

 年が明けて発表されたJRAクラシフィケーションでグラスワンダーは格付け1位になった。強さを数値化するレーティングは116ポンドとされた。これはかつて「スーパーカー」と呼ばれ、生涯8戦8勝の成績を残したマルゼンスキーの115ポンドを超える2歳の過去最高レーティングとなった。

 3歳になったグラスワンダーを不運が襲う。骨折だった。予定していた春のレースはすべて断念し、復帰は10月までずれ込んだ。毎日王冠は9頭立ての5着、続くアルゼンチン共和国杯も18頭立ての6着と、2歳時の輝きを取り戻すことはできなかった。しかしグラスワンダーはこのままで終わらなかった。休み明け3戦目に有馬記念を選ぶと、メジロブライトに半馬身差をつけて優勝。朝日杯3歳S以来1年ぶりの白星をGⅠで飾った。

1998年 有馬記念©スポーツニッポン新聞社

 グラスワンダーは、馬の形が気に入ったという尾形充弘調教師が米国の競りで落札した馬だ。輸入されて育成牧場でトレーニングに入ると、動きの良さで関係者を驚かせたという。2歳時の4連勝は前評判通りだった。

 4歳になったグラスワンダーは3歳時の不振を取り戻すかのように頑張った。5戦4勝。宝塚記念、有馬記念の2連覇などGⅠタイトルを2つ上乗せした。5歳も現役を続けることになったグラスワンダーだったが、再び不振に陥った。日経賞(6着)、京王杯SC(9着)と思わぬ大敗を喫した。巻き返しを狙った宝塚記念でも6着に終わり、レース後に骨折が判明。そのまま現役を引退することになった。

 最後は不完全燃焼に終わった現役生活だったが、種牡馬になってからは、あの天才少年らしい結果を残した。息子のスクリーンヒーローがジャパンCを制してGⅠ馬になると、その息子モーリスは香港と日本で合計6つのGⅠを勝ち取った。モーリスも種牡馬になり、2021年にピクシーナイトがスプリンターズSを制覇、2023年にはジャックドールが大阪杯に勝ってGⅠ馬の仲間入りを果たした。父系4代にわたるGⅠ勝利という記録はグラスワンダー一族だけが達成した唯一のケースだ。グラスワンダーの本当の偉大さを歴史が証明した。

有吉正徳

1957年、福岡県出身。82年に東京中日スポーツで競馬取材をスタート。92年に朝日新聞に移籍後も中央競馬を中心に競馬を担当する。40年あまりの取材で三冠馬誕生の場面に6度立ち会った。著書に「2133日間のオグリキャップ」「第5コーナー~競馬トリビア集」

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