9月22日はオールカマーである。オールカマーとは、すなわち「全部いらっしゃい」という意味で、以前は地方所属馬が出走可能な数少ないレースの1つだった。
今の中央競馬は全てにわたって整備されている。距離体系は完璧に整い、クラスがある程度上がってしまえば、適性を外した距離のレースに出る必要は、ほぼなくなった。
地方所属馬もかなり出走しやすくなった。もちろん、全てが全てOKではないが、たとえば今の時代の笠松に、もし再びオグリキャップが出現したら、その歩みは当時とは全く異なるものになっただろう。
かゆいところに手が届く現代競馬のシステム。素晴らしい。素晴らしいが…ちょっと物足りなくなった。「まだ見ぬ大物」「未知の距離への挑戦」のようなものにワクワクする機会が極端に減ってしまった。
いや、今の形こそが関係者が望んだ形であることは承知している。ただ、異種格闘技戦のような、オイオイどうなるんだこのレースは、みたいなプロレス的ワクワク感がもう少しあってもいい気はするのだ。
そんな”風通しの悪かった時代”においてのオールカマーは数少ない”異種格闘技戦”の機会。毎年、本当にワクワクしたものだ。
最も印象深いのは1991年、大井競馬の強豪ジョージモナークが勝った一戦だ。
前年もオールカマーに出走してラケットボールの2着だった同馬。しかし、すでに6歳となっていたことが評価を下げたか、6番人気に甘んじた。1番人気はダービー3着、菊花賞2着、有馬記念3着。惜敗が続いて判官びいき的人気もあった4歳馬ホワイトストーンだった。
ジョージモナークの早田秀治騎手はJRAの競馬に乗るのは初めて。芝のレースも初めて。だが、状態の良さを感じ、自信を持っていた。「自分の競馬ができれば勝ち負けに持ち込める」
ジョージモナークはスポーツ紙では「野武士」などと形容されたが、洗練された競馬を展開した。道中は3番手。4角手前でジリジリと位置を上げ、4角では2番手に取り付いた。直線、前を行くのはユキノサンライズ1頭。だが、追い出しを慌てることはなかった。
「凄い手応えだ」。直後を走るホワイトストーンがどのくらいの脚を使えそうかを計る早田。ここぞのタイミングで追い出した。「夢中で追い出したら芝の感触を楽しむかのように伸びてくれたよ」。ホワイトストーンを半馬身差抑え込み、大井のベテランホースがJRA勢を封じ切った。
赤間清松師の表情も紅潮していた。「最高のタイミングで追い出してくれた。ジョージモナークも昨年より、はるかに決め手に磨きが掛かったよ」。同師はジョージモナークの他にもカウンテスアップ(86年7着)、ハシルショウグン(92年6着、93年2着)といった強豪をオールカマーに送り込んだ。騎手出身で、地方競馬所属でありながら芝のレースでJRA勢を倒すことに生きがいを見いだしたという伝説の調教師。ぜひ、話を聞いてみたい方だった。